R.E.M. (アール・イー・エム)

R.E.M. 43曲

R.E.M. (アール・イー・エム)の概要

80年代のインディで活躍し、88年に大手メジャーレーベルに移籍。

その後は莫大な売り上げを記録し、誰もが知っているスーパーバンドとして活動した。

80年にジョージア州アセンズで結成。バンド名の意味はRapid Eye Movement(睡眠時の眼球運動)だとされている。

音楽性はジャングル・ポップとして語られることもあり、フォーク・ロックを土台にサイケデリックやニューヨークパンクなどの要素を散りばめたようなもの。

アルバムによっては歪んだギターをメインにしたものもある。

ただ、90年代にオルタナティヴと呼ばれた多くのバンドのように極端にへヴィなギターは皆無で、そういう音楽を好む人には上品で小奇麗な耳障りの良い王道ロックバンドとの印象を与えるかもしれない。

社会的、政治的な歌が多いのも特徴の一つで、ヴォーカルでフロントマンのマイケル・スタイプもまた大衆からの「世代の代弁者」扱いに苦しんだ一人だ。

レーガン政権のころ1つの世代の代弁者になっていた。

例えば温室効果やあらゆる問題に関する知識を常に持っていることを期待されるようになった。

自分がそういう問題意識を表現してるなんて気づいてなかった。

R.E.M. / マイケル・スタイプ Seven Ages of Rockから引用

だが、カート・コバーンやエディ・ヴェダーと違ってそういう立場を楽しむ余裕も少なからずあり、そういう立場を利用して政治的な意見をアピールしたこともある。

81年にリリースされたシングルRadio Free Europeがカレッジ・ラジオで人気を集め、82年にはI.R.S.というPoliceのドラマーの実兄が設立したインディレーベルと契約。

83年にリリースされた1stアルバムMurmurがローリング・ストーン誌などのメディアから絶賛された。

初期のマイケルはアメリカ人でさえ歌詞を聞き取れないほどモゴモゴと歌っていたが、それがかえって神秘的な魅力を感じさせたこともあったようだ。

極度に内気で自信もなかった。

ニキビが酷くて髪で顔を隠そうとしたし、話し方も歌い方もボソボソしていたよ。

それがかえって、カリスマ性があるように思われたんじゃないかな。

R.E.M. / マイケル・スタイプ Seven Ages of Rockから引用

その後、地道にアルバム製作とツアーを積み重ね、87年の5thアルバムDocumentが100万枚売り上げるに至った。

彼らが所属していたインディレーベルI.R.S.は、レコードの流通をメジャーレーベル委託するという当時のアンダーグラウンドなインディレーベルと違って、限りなくメジャーレーベルに近い珍しいケースだが、大成功の理由はそれだけではないだろう。

カレッジ・ラジオの後押しが大きかったと思われる。

詳しくはカレッジ・ラジオ、CMJとは?を読んでほしい。

マイケルは1991年のMTVビデオ大賞授賞式のスピーチでカレッジラジオに対して感謝の言葉を述べた。

88年には多額の契約金で移籍したメジャーレーベルから6thアルバムGreenをリリースし大規模なワールドツアーを敢行。

しかし日本以外はアリーナクラスの会場ばかりとなったこのツアーでバンドは疲弊。

成功によるストレスに潰されそうになるも、ツアーから一切手を引くことを決意し立て直すことに成功した(結果的にツアーをしなかったのは6年間)。

しかし、ツアーをやらないにも関わらす91年の7thアルバムOut Of Timeと92年の8thアルバムAutomatic For The Peopleが大ヒットを記録し、名実共にトップバンドとして君臨することになる。

R.E.M.は商業的だってずっと思ってた。

でも情熱がある。

今までもそういうバンドはたくさんあった。

ファンや音楽関係者がバンドを見守らなきゃ。

ここ10年のような堕落はごめんだ。

特にレーガン時代みたいなね。

Nirvana / カート・コバーン Seven Ages of Rockから引用

一方でインディ時代のR.E.M.の大ファンだったものの、メジャーで世界的なバンドとなったR.E.M.を認めることができないPavementのスティーヴ・マルクマスのような人もいた。

PavementのUnseen Power Of The Picket Fenceという曲はそんなR.E.M.を非難した曲だ。

特に1stや2ndなんかは僕の思春期を代表すると言っていいほどの愛聴盤だったよ。

でもここ数年の彼らの曲は正直言って聞く気がしないな。

例えば、ほら最新シングルのなんだっけ?

(Everybody Hurtsのビデオを)ついこの間MTVで観てて、これほどダサいバンドがあったのかと改めて痛感させられたもんね。

Pavement / スティーヴ・マルクマス ロッキングオン1994年3月号から引用

結成以来メンバーチェンジは一切なかったが、97年にドラマーのビル・ベリーが脱退してしまう。

脱退を決意したのは95年に脳を手術したことが大きかったようだ。

どの曲でも作曲者をバンドメンバー4人とし、あらゆる物事を全員が納得できる形で取り決めてきたバンドだけに、ビルの脱退はバンド史上最大の危機だったようだが、ビルのバンドを続けて欲しいという強い希望もあり、残りのメンバーは3人編成でバンド活動を続けた。

2000年代に入ると、世の中に対して全盛期のような影響力は失われていたものの、政治色の強いアルバムをリリースしていった。

テロやブッシュ政権の存在なども大きく影響したのだろう。

結成から31年が経ち15枚目のアルバムCollapse into Nowをリリースした2011年、バンドは解散を決心した。

理由は様々な要因が絡み合っているようだが、メンバー間は友好的で達成感を伴ったポジティブな解散だといえるだろう。

関連リンク

R.E.M. (アール・イー・エム)のアルバム紹介

おすすめアルバム

まずはOut of Timeをおすすめしたい。

Automatic for the Peopleも彼らの傑作のひとつ。

インディ時代なら1stの評価が高い。

インディ最後のアルバムもおすすめ。

巷での評価は高くないが個人的には悪くないと思うアルバムその1。

巷での評価は高くないが個人的には悪くないと思うアルバムその2。

その他のアルバム(時系列)

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