カレッジ・ラジオやCMJについてはコトバンクのカレッジ・ラジオが詳しいので読んでほしい。
簡単にいうと、大学の学生が運営していたラジオ局(カレッジ・ラジオ)は、ヒット曲ではなく自分たちが本当に好きな曲を放送していた。
それには全米各地のローカルバンドやインディバンドが取り上げられることも多かった。
次第に全米のカレッジラジオをネットワーク化する動きが起こり、CMJ(カレッジ・メディア・ジャーナル)という雑誌が創刊され、全米のカレッジラジオのオンエア率やリクエスト数を集計したCMJチャートも生まれた。
R.E.M.のようにカレッジ・ラジオで取り上げられたことにより人気に火がついたバンドも多かった。
当時はインターネットなど存在しない時代。
カレッジ・ラジオはマニアックでアンダーグラウンドな音楽を知ることができる数少ない有効な手段だった。
まったくの別世界でした。
今ではオルタナティヴ・ロックと呼ばれていますが、当時はカレッジ・ロックでした。
カレッジラジオでしか聞けない、まさにLeft Of The Dialそのものでした。
デヴィッド・フリッケ / ローリングストーン誌の記者 Seven Ages of Rockから引用
Left Of The Dialとは「ラジオの周波数を合わせるダイアルを左に回してカレッジラジオを聞く」という意味。
当時はカレッジ・ラジオの周波数は左側に位置していた。
The ReplacementsのLeft Of The Dialという曲はカレッジ・ラジオに関することを歌っていると解釈されている。