80年代のメイン・ストリームとインディ・シーン
80年代アメリカのメインストリーム(主流)のロックは、MTVが開局したこともあり外見至上主義的でエンターテインメント満載の、スリルのない商業主義的なものだった。
それとは対照的にインディ・アンダーグラウンドでは、Black Flag、Sonic Youth、Husker Du、Minor Threat、Fugazi、Big Blackなど、パンクに感化されたバンドが活動していた。
シアトル・シーンとNirvanaの成功
アメリカの最果てシアトル近郊でもそんなバンドたちが活動していたが、地元のインディ・レーベルであるSUB POPがしだいに商業主義的な活動を展開し、90年頃にはシアトルのバンドがメジャー契約を獲得するようになっていった。
91年9月24日にリリースされたNirvanaのNevermindが、92年1月初頭にMTVの権化であるMichael Jacksonを蹴落として、チャートで1位になる。
グランジ・オルタナの流行
シアトル及びNirvana周辺のバンドが、グランジというキーワードと共に報道され注目される。
また、シアトル以外のインディ・バンドにも注目が集まり、80年代のメインストリーム(主流)と対極を成す音楽性から、オルタナティヴ(反主流)と呼ばれ、このような音楽がチャートの上位にランクされるようになった。
ビジネスとしてのグランジ
グランジはビジネスになると判断したメジャーレーベルが、インディバンドの青田買いを始めた。
グランジブーム便乗バンドの登場。
アパレルブランドがNirvanaやPearl Jamのファッションを取り入れた。
カート・コバーン死後数年間の音楽シーン
94年、Nirvanaのカート・コバーンが自殺。
数年間は、Nine Inch Nails、Beck、Smashing Pumpkinsなどのオルタナ系バンドがロック・シーンを引っ張る。
ニューメタルの猛威とオルタナの敗北
96年、後にニュー・メタル、ラップ・メタルと呼ばれるブームに多大な影響を与えることとなる2つのバンド、Rage Against The MachineとKornのアルバムがチャートの上位に食い込むと、これらのバンドと似たり寄ったりのニュー・メタル・バンドが徐々にオルタナティヴを駆逐していった。
99~00年頃には、ロック・シーンはニュー・メタル一色となり、オルタナは意味通り反主流な音楽に戻っていった。