Beastie Boys (ビースティ・ボーイズ)
最終更新日 2023年9月1日
Beastie Boys (ビースティ・ボーイズ)のアルバム紹介
Beastie Boys (ビースティ・ボーイズ)の概要
ラップやヒップホップの枠組みで語られることが多く、オルタナティヴ・ロックとしてこのサイトに掲載するか否か迷ったグループなのだが、扱うことにした。
白人でありながらもオールドスクール(黎明期のラップ)に感化され、ヒップホップグループとして活動することになり、パンク、ロック、ファンク、ジャズなどの要素も取り入れ、アルバムによってはサンプリングだけでなく生演奏を取り入れるなど革新的なことを成し遂げてきた。
本人たちはロックと呼ばれることに違和感があるようだが、ロックの観点からすると後にクロスオーバー、ミクスチャー、ラップメタルと呼ばれる音楽に多大な影響を与えたといえるだろう。
キャリアを重ねるにつれ政治的、社会派の面も見られたがRage Against The Machineのようにシリアスにはならず、適度なユーモアを織り交ぜてきたのもこのバンドの特徴だ。
Beastie Boys 35曲
Beastie Boysの前身バンドはBad BrainsやBlack Flagなどに憧れたハードコアバンドだったが、彼らの地元ニューヨークで勃発したオールドスクール(黎明期のラップ)を目撃した彼らは3人組のピップホップグループとして活動するようになった。
まあ、やっぱりパンク・ロックと同じエネルギーがあったんだよね。
いきなり出現して、スクラッチとかやらかして、しかもそれまでのものとは比べ物にならないほどラウドで、リズムの取り方もまったく常識破りで、ラップもそんじょそこいらでたむろしてる連中がやってるノリで生々しくてリアルでさ、あんなもの他にはなかったし、もうこんないいもんないし、これつきゃないぜっていうね。
しかも、当時はパンク・ロックも勢いがなくなってきてて、アメリカのハードコアも下火になりつつあって、シーンの活況から言っても、面白そうだったんだよね。
第一、ラディカルさにおいちゃどう考えてもバンク・ロック以上だったことは確かだよ。
やっぱり、音楽としてはそれまであったものとはまったく違ってたからね。
突然、ドラム・マシーンと夕ーン・テーブルだけで音楽作ってんだもんさ。
それに対してバンク・ロックとハードコアは確かにラディカルではあったけど、結局は依然としてギター、べース、ドラムというものだったからね。
ヒップ・ホップには完全に新しいフォーマットがあったわけだよ。(マイクD ロッキングオン1996年4月号)
1986年に、後にヒップホップを代表するレーベルの一つとなるデフ・ジャムから1stアルバムLicensed To Illをリリース。
ヒップホップ至上はじめて全米1位を獲得したアルバムとなり、現在までに1000万枚以上売り上げている。
客席は、RUN-DMCとフーディーニ目当てで来た南部の黒人一色のはずなのに、ビースティーズが登場してもみんなホットドッグを買いに席を立ったりしないんだよ。
みんなあの白人のガキどものプレイを一心に聴いてたんだ。(RUN-DMC / DMC ロッキングオン1999年10月号)
その後はデフ・ジャムと決別してしまうがキャピタルレコードと契約を結び活動を続け、1989年に100曲以上からのサンプリングで構成された2ndアルバムPaul’s Boutique、逆にメンバーが楽器を演奏して制作された3rdアルバムCheck Your Head、生楽器路線を深化させ全米チャート1位を獲得した1994年の4thアルバムIll Communication、ロック色を抑え遊び心あふれるヒップホップに回帰した1998年のHello Nastyなど革新的なアルバムをリリースしていった。
ハードコアシーンの重鎮でメジャーレーベルを否定するインディ至上主義者で、それを長年に渡って実行してきたイアン・マッケイは「じゃ、今のメジャー・バンドでいいと思う人は全然いないんですか。」と問われた際にBeastie Boysを挙げたことがある。
ビースティ・ボーイズは凄いと思うよ。
メジャーに行っても、常に新しいことに挑戦し続ける勇気を持っている。
アルバムごとに成長して、変化している。(イアン・マッケイ クロスビート1997年1月号)
1992年ごろからL7やRollins Band、The Jon Spencer Blues Explosionなどオルタナティヴ・ロック・バンドとツアーをする機会が増えていき、1994年にはロラパルーザに出演。
また、初期の頃はステージ上に檻に入れた女性やペニスの形をした巨大な風船を配置したりと、男尊女卑的な思想を持った単なる頭の悪いパーティー三昧なクソガキといったライヴパフォーマンスであったが、徐々に社会的な思想も持ち込むようになった。
俺たちが8歳か9歳のときに「ライセンスト・トゥ・イル」が出たんだけど、あの頃のビースティって、もの凄く馬鹿みたいなんだよね。
女の子たちを檻に入れて、自分たちはステージでビールを飲んでて・・・でもビースティの凄いところは、後で「あれは間違っていた。俺たちはちゃんと学んだし、あれから成長したんだ。」って認めたところだよ。(At The Drive-In / ジム・ワード ロッキングオン2000年8月号から引用)
1996年にはチベットの中国からの独立を支援するためにチベタン・フリーダム・コンサートを主催した。
Red Hot Chili Peppers、Smashing Pumpkins、Rage Against The Machine、Sonic Youth、Beck、Foo Fighters、Pavementなどオルタナ系のバンドも多く参加し、2003年まで続いた。
1992年にはグランドロイヤルという自身のレーベルを立ち上げ、ヒップ・ホップ系だけでなくAt The Drive-Inや日本のBuffalo Daughterなどのオルタナティヴ系のバンドの作品もリリースし、また雑誌を発刊したりファッションブランドを立ち上げたりとストリートとの結びつきを強めた。(資金繰りが悪化し2001年にグランドロイヤルは閉鎖)
2000年代に入っても活動を続けていたが、2009年にメンバーのMCA(アダム・ヤウク)が耳下腺癌だと診断され、2012年に他界。
残されたマイクDとアドロックにはBeastie Boysとして活動する意思はないようだ。
2020年にマイクDとアドロックも関わったバンドの歴史を振り返るドキュメンタリー映画が公開された。
スパイク・ジョーンズ監督によるビースティ・ボーイズの新ドキュメンタリー映画『Beastie Boys Story』がApple TV+で公開決定
関連リンク
Beastie Boys (ビースティ・ボーイズ)のアルバム紹介
1.スタジオアルバム
Licensed to Ill
1986年にDef Jamからリリースされた1stアルバム。
プロデューサーはデフ・ジャム創設者の一人でもあるリック・ルービン。
前述したようにヒップホップのアルバムとして初の全米チャート1位に輝いたアルバムでもあり、現在までに1000万枚以上売れている。
1曲目のRhymin & StealinからBlack SabbathのSweet Leafのギターが飛び出すなど、全体的にラップロック、ラップメタルといった印象が強い。
大ヒットしたFight For Your Rightや、メタルバンドのSlayerのギタリストであるケリー・キングが参加したNo Sleep Till Brooklynはラップメタルのパイオニア的な役割を果たした曲の一つといっていいだろう。
She’s Craftyのビデオを見れば一目瞭然なのだが、この頃の彼らはパーティーが大好きな単なる悪ガキといったところ。
大人になったメンバーは思い出したくない過去なのかもしれない。
2000年にリリースされたBeastie Boys Video Anthologyというビデオクリップ集には、Licensed to Illから1曲も収録されなかった。
当然のことながら、思い返しただけで身をよじりたくなるような思い出はいろいろあるよ。
暴力や女性蔑視やいろんな人への無礼な態度を含めた過去の言動は、今の俺が表現したいと思ってることからあまりにもかけ離れちゃってるからね。
だけどこうやって変わることができてしかもその変化を反映させたレコードを作れるっていうのは、実際すごい恵まれてたと思う。(マイクD ロッキングオン1999年10月号)
Licensed to Illの他のフォーマット
- Licensed to Illの日本盤(2011年)
- Licensed to Illの日本盤(2008年)
- Licensed to Illの日本盤(2005年)
- Licensed to Illの日本盤(2003年)
Licensed to Ill(YouTube)
Paul’s Boutique
デフ・ジャムやリック・ルービンと決別してキャピトルと契約を結んで制作された。リリースは1989年。
新鋭のDust Brothersと共にヴォーカル以外のものを100%ではないにせよ、ほぼサンプリングで制作された画期的なアルバム。
サンプリングで使用された曲はロック、ジャズ、ファンクなどの105曲。
全体的な印象としては、いわゆるヒップホップ感が強くてロック、クロスオーバー感は前作Licensed To Illと比べて弱い。
だがThe Sounds Of Science、Shadrach、A Year and a Dayといった曲からはロックのような躍動感があるし、Looking Down The Barrel of a Gunはラップメタル的。
High Plans Drifter、3-Minute Ruleのベースとドラムは素晴らしいと思う。
ロックのリスナーは、最初は好きになれないかもしれないが何回も聞いてほしい。
Licensed To Illの二番煎じを期待していた人たちからソッポを向かれたのか、Licensed To Illのだけの一発屋で終わると思っていた人が多く今作リリース前から世間の関心が薄かったのかはわからないが、商業的には惨敗してしまった。
リリース当初からジャーナリストからの評価は高く、時が経つにつれ評価が上がっていき、現在では傑作とされている。
俺たちが音楽に過度にコマーシャルな味つけをしかけると奴らはすぐに「うーん、それイマイチだな」って反応したよ。
そんなことでトラックを台なしにしてしまいたくなかったんだな。
あの時、ヤウクは「このアルバムは一切プロモーションをしない。宣伝しなくても世間がその存在を発見する、って感じの、クールなレコードにしたいんだ」と言ってたよ。(Dust Brothers / ジョン・キング ロッキングオン1999年10月号)
Paul’s Boutiqueの他のフォーマット
Paul’s Boutique(YouTube)
Check Your Head
1992年作。
自身で設立したグランドロイヤルというレーベルからリリースされた。
サンプリングを多用した前作とは正反対で、自ら楽器を手にとっての生演奏が8割を占めているのが最大の特徴であり新機軸。
普通のヒップ・ホップ、ラップグループのイメージとはかけ離れたことをやってのけてきたことがオルタナティヴという言葉を連想させる所以だ。
前作リリース以降、ヒップ・ホップ界隈ではサンプリング使用料が高騰、またサンプリングに関する訴訟は増加。
実際にBeastie Boysも訴訟を起こされたこともある。
生演奏を取り入れた理由はそういう世情も関係していると思われがちだが、実際のところは単純に演奏したかったからとのこと。
(サンプリング問題と今回の生演奏との関連を問われ)
いや、生でやったのは俺達がそうしたかったからさ。聞いている音楽がファンキーでメロウな音だったってことも影響してると思うんだけどね。
でも俺からしたら、そういうサンプリング問題って悲しいよ。
サンプリング許可一つとるのにあれだけの段階を踏んであれだけの金がかかって、その結果、禁止みたいな形になっちゃっているのさ。
可能性が失われていくってことじゃない、それって。
ただ、俺達の場合は本当に生でやりたかったんだ。
サンプリングはサンプリングで使いたいもん使ってるしね。(マイクD ロッキングオン1992年12月号)
ジャズやファンクなど様々な音楽ジャンルの影響が垣間見えるが、私たちの趣向からすればロックの要素が満載なのが嬉しいところ。
クロスオーバー、ミクスチャーと呼ばれた音楽が好きな人には違和感なく耳に入ると思う。
ハードロックなPass The Mic、Gratitiude、So What’cha Want、自身のルーツであるハードコアに接近したTime For Livin’、サイケデリックなSomething’s Got To Giveがおススメの曲だ。
Check Your Headの他のフォーマット
Check Your Head(YouTube)
Ill Communication
1994年作で生演奏とサンプリングの融合という前作での路線を発展させたものだが、完成度はとてつもなく高く、90年代を代表するアルバムの一つ。
最高傑作といわれることが多く、是非とも聞いていただきたいアルバムだ。
ジャズ・フルートのループが素晴らしいSure Shot、ジャズの名曲をサンプリングしたRoot Down、ジャズを取り入れたヒップホップで名を馳せたQ-Tipをゲストにむかえて制作されたGet It Togetherなどのジャズ影響下の曲が印象的だ。
SabrosaやFutterman’s Ruleなどのインストゥルメンタルも冴え渡る。
一方でTough GuyやHeart Attack Manなどのハードコア・パンクもある。
Sabotageは轟音ギターを取り入れたラップ・ロックでモダン・ロック・チャートで健闘し、この曲のビデオが高い評価を得た。
俺たちとしてはたとえば「チェック・ユア・ヘッド」も「イル・コミュニケーション」も、世間が考えてるヒッブホップの枠を超えたヒップホップだったと思ってるってことなんだ。
世間の連中にはヒップホップだとは思えないようなものも、俺たちの定義ではヒップホップに含まれていて、そういうのも含めたヒップホップのために俺たちは活動してるってことなんだよ。
世間のヒップホップ観ってもっと狭いものかもしれないけどね。
「1分間にこれだけの回数のビートを刻んでるのがヒップホップだ」とか「ヒップホップはこうであるべきだ、ああであるべきだ」みたいなさ。(Beastie Boys マイクD / ロッキングオン1998年7月号)
Ill Communicationの他のフォーマット
- Ill Communicationの2枚組リマスター盤(2011年)
- Ill Communicationの2枚組リマスター日本盤(2011年)
- Ill Communicationの日本盤(2005年)
- Ill Communicationの日本盤(1994年)
Ill Communication(YouTube)
Hello Nasty
1998年作で、ロックやパンクから距離を置いてヒップホップに立ち返ったアルバムだといわれる。
エレクトロ、ジャズ、ファンク、ラテンミュージックをセンスよく取り入れた音楽性は素晴らしい。
また真新しくて新鮮な感じがするのはDJがスクラッチの得意なターンテーブリストのミックス・マスター・マイクに交代したことも大きい。
Intergaopticのビデオは怪獣が登場するSF映画のようなもので、東京で撮影された。
個人的には好きなアルバムだがロックやパンク的なものはあまり感じられないのでロックが好きなリスナーは好きになれないかもしれない。
Hello Nastyの他のフォーマット
Hello Nasty(YouTube)
To The 5 Boroughs
2004年作で、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ後のアルバムだけあってその影響が色濃く反映されていると思う。
アルバムタイトルの「5つの自治州」というのはニューヨーク市のことだし、そのテロ攻撃で崩壊してしまったツインタワーが描かれているジャケットが印象的だ。
歌詞も当然のことながら地元ニューヨークに対するもの、政治的なものが目立つが、シリアスになりすぎずに陽気でパーティー的の雰囲気もあるのが彼ららしい。
音楽的には前作同様に「ロックやパンクから離れてヒップホップに回帰した作品」と評された。
前作はさまざまな音楽を取り入れてバラエティ豊かな面があったが、対照的に今作はシンプルでエレクトロなビートの上で3人がラップしてるだけで、ごった煮感は全くない。
まさに世間でいうところの「ヒップホップ」である。
Ch-Check It Out、3 the Hard Wayは名曲だと思う。
歌詞対訳がついている日本盤を推奨したいが、2004年盤はCCCD(コピーコントロールCD)なので注意していただきたい。
To The 5 Boroughsの他のフォーマット
To The 5 Boroughs(YouTube)
The Mix-Up
2007年作。
予想外にも全曲ラップなしのインストゥルメンタル・アルバムとしてリリースされた。
しかも再び自ら楽器を手に取り、ファンクをベースにパンク、ニューウェーヴ、ジャズ、ブラジル音楽をブレンドしたようなものなので、世間でいうところのヒップホップとはかけ離れた作品となった。
元気あふれるというよりは、椅子に座ってじっくり楽しめる大人の音楽といったところ
Ill Communication収録のSabrosaやFutterman’s Ruleのような必殺チューンは収録されていないものの、十二分に楽しめるアルバムだ。
2007年のサウンドにしては、音圧が低くダイナミックレンジを重視した音質なのも素晴らしい。
The Mix-Upの他のフォーマット
The Mix-Up(YouTube)
Hot Sauce Committee Part Two
2011年リリースのラストアルバム。
元々はパート1の次にパート2をリリースするという構想で、2009年にパート1がリリースされる予定だったが、アダム・ヤウクが耳下腺癌だと診断されたためリリースが延期となった。
その2年後の2011年に、パート1に収録される予定だった曲のほとんどがパート2としてリリースされた。
Check Your HeadやIll Communicationのような路線といわれることが多いようだが、個人的にはロックやパンクだけに偏りすぎず、レゲエやエレクトロなど様々な音楽をバランスよくごちゃ混ぜにしたような、ヤウク亡き今となっては集大成的なアルバムだと思う。
初期のパーティー三昧だった馬鹿な自分たちのパロディのようなMake Some Noiseのビデオはインパクトがある。
Nasが参加したToo Many RappersやSantigoldが参加したDon’t Play No Game That I Can’t Winが人気の高い曲だ。
2012年にヤウクが他界したためパート3のリリースは不可能となり、当初の2枚構想は実現されずに、結果的にBeastie Boysのラストアルバムとなってしまった。