Sonic Youth (ソニック・ユース)

Sonic Youth 21曲 (You Tube)

Sonic Youth (ソニック・ユース)の概要

グランジ・オルタナやニューヨークの音楽シーン、80年代インディシーンを語る上で絶対に欠かせない最重要バンドの一つ。

81年にニューヨークで結成。

ニューヨーク出身ということで、RamonesなどのニューヨークパンクやSuicideなどのNo Waveと呼ばれる音楽から影響を受けている。

サーストン・ムーア、キム・ゴードン、リー・ラナルドは結成から今現在まで不動だが、初期はドラマーが安定しなかった。

85年にスティーブ・シェリーが加入、以後20年以上もこのメンバーで活動することとなる。

このバンドの音楽性はエクスペリメンタル、アート志向、カオス的なノイズ、変則チューニングによる普通じゃない雰囲気といったところ。

頭の良さそうな連中が理解しがたい音楽をやっているという感じで、メインストリームのポップとは程遠い。

Sonic Youthが80年代にアンダーグラウンドで地道に活動したことは、インディシーンに多大なる貢献をしたと言えるだろう。

Black FlagとSonic Youthを見て欲しい。

80年代前半はアメリカやヨーロッパを地道にツアーしていたようだが、85年にリリースしたBad Moon Risingが評価され出世作となる。

Black Flagのメンバーに気に入られ、インディでは憧れの的だったBlack FlagのレーベルであるSSTと契約した。

地道な活動が実を結びインディでの評価を高めて、88年には最高傑作と言われるDaydream Nationをリリース。

その後はメジャーレーベルと契約を結び、活動の場を広げていった。

音楽製作に関してはバンドが自由に行うという条件でのメジャーレーベルとの契約は画期的だったと言われるが、インディ側からの批判も少なからずあったようだ。

90年のメジャーデビュー作のGooと、94年のDirtyというアルバムはメジャーレーベルやグランジオルタナムーヴメントを意識したポップな作風となった。

本人たちは後に失敗作だったと語ったこともある。

「ダーティー」ではお金をかけて売れっ子プロデューサー(NirvanaのNevermindを担当したブッチ・ヴィグとアンディ・ウォレス)も雇って、いわゆるロックっぽいことを私たちがどこまでやれるか試してみたわけだけど、自分たちにとっては退屈に過ぎないってことがわかったの。

キム・ゴードン ロッキングオン96年4月号から引用

その後は路線を修正してトレンドに流されず、大衆性を度外視して独自のエクスペリメンタル(実験的)な音楽を好き放題追求していった。

リリースしたアルバムは大ヒットを望めないものばかり。

メディアの高評価とアルバムの売上枚数に最もギャップのあるバンドだと言われたこともある。

このような姿勢と独自の音楽性は今現在も若手バンドからリスペクトされている。

2000年代前半にはジム・オルークが正式メンバーとして加入(現在は脱退)。

音楽性を進化させながらも活動すること25年以上、非常に息の長いバンドとなった。

一度も解散せず、コンスタントに長期間も進化し続けているバンドは、なかなかお目にかかることはできないであろう。

僕達が今まで一度たりともセレブとか、そっち方面の関心事に巻き込まれたことが無いっていうのがあるだろうな・・・

ダーティーを作った後、当時一緒に仕事をしていた色んな人が、ああいうハードロック志向の作品を作り続けてくれって期待したと思うんだよ。

でも僕達が向かったのは全くの別方向で、そのころはロイヤルトラックスとかペイヴメントとかセバドーみたいなバンドに触発されていたんだ。

よりニルヴァーナから遠い音楽というかさ。

もしあのままパンクロック、グランジロックの土俵に立っていたら、今よりもひ弱で面白味のないバンドになっていたと思うよ。

それに僕たち自身も一緒にやるのに飽きていたと思う。

要するに、当時の状況に立ち向かっていったというか、自分たちを試したというか、今思うとそれは重要で、結果的には新しい可能性を見つけ出せたんだ。

サーストン・ムーア ロッキングオン2002年7月号から引用

前述したとおりメジャーレーベルとは音楽制作の主導権はバンドが持つという契約内容だったようだが、実際のところはメジャーレーベルのビジネス重視の姿勢には多少なりとも苦しんでいたようだ。

Experimental Jet Set, Trash & No Starが完成したときゲフィンに「君たちにシングルを書けと言う気はないけど、このアルバムにはラジオでかけられる曲がない」と言われた。

だから僕らは「何を言っているんだ? そういうことを言うのはオーディエンスを見くびっているからだ」って反論したんだ。

サーストン・ムーア クロスビート95年5月号から引用

1997年からは、極端に実験的な作品はSonic YouthのレーベルであるSYRからリリースするようになった。

SYR発足時はメジャーレーベルへの不満を口にしていなかったが、本音はどうだろうか?

2008年にはメジャーとの契約が満了し、インディのMatadorと契約したことを発表。

これまでの俺たちと言えば、ユニバーサル(メジャーレーベル名)にいる会ったこともないようなヤツらを感動させ印象づけるために、自分たちの曲の力をねじ曲げていたようなものだった。

サーストン・ムーア Vibeのニュース

インディーに戻るのはうれしいことだね。過去の5~6枚では、メジャー・レーベルの要求に応えるための妥協もあったからね。

サーストン・ムーア bounceのニュース

2009年にはMatadorからThe Eternalというアルバムをリリース、今後も順調に活動を続けていくのだろうと思われていたが、2011年にサーストンとキムが離婚を発表。

バンドの解散宣言こそないもののバンドとしての活動は行われなくなり、各メンバーはバンド外の活動を行うようになった。

2013年に公表された離婚の経緯を考慮すると活動を再開させるのは難しいと思われ、実際のところ2020年現在も事実上の解散状態にある。

関連リンク

Sonic Youth (ソニック・ユース)のアルバム紹介

おすすめアルバム

一般的に最高傑作といわれているのがDaydream Nation。

初期の断末魔のような緊張感ならBad Moon Rising。

メジャーデビュー作のGooは入門用。

Washing Machineは90年代の名盤。

Sisterはメンバーの3人が最も印象深かったアルバムとして挙げたことがある。

結果的にラスト作となったThe Eternalは集大成的アルバム。

その他のアルバム(時系列順)

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