Black FlagとSonic Youth

Black FlagとSonic Youth

Black Flag

数多く存在していた80年代のインディ・バンドの中でも、特にBlack Flagの影響力は無視できない。

音楽面でいえばUSハードコアを代表するバンドであるが、ハードコア・パンクにいち早くBlack Sabbathなどのヘヴィ・メタルのの要素を取り入れたのは画期的であった。

パンクとメタルを融合させた音楽性と説得力のあるヴォーカルに神経症的な歌詞で、独自のヘヴィなハードコアを確立し、後のバンドに多大な影響を与えることとなった。

また全米ツアーに明け暮れることによってパンクを普及させ、インディ・シーンの発展に貢献した。

Nirvana、Pearl Jam、Melvins、Mudhoneyなどのシアトルのバンド、ニューヨークやワシントンDCなどの東海岸、カリフォルニアの閉鎖的な砂漠で活動していたQueens Of The Stone Ageのジョシュ・オムなど、アメリカのあらゆる地域のインディ・バンドから好きなバンドとしてBlack Flagの名前があがってくることには驚きだ。

ハードコアはどんなに小さな田舎町でもパンクを鳴らせる、っていうことを全国に伝播させたわけだからさ。

Black Flagは、ドーナツ屋から高校の体育館と、演奏できる場所があるならどこでもやってやるっていう勢いで、1台のヴァンに全員で乗り込んで全米を駆け回ってたんだよ。

そうやってハードコアは、メインストリームの世界からは完全に隔離されたアンダーグラウンドのネットワークを作り上げたんだよね。 

Sonic Youth / サーストン・ムーア ロッキングオン2003年5月号から引用

彼らのようなバンドが全米中をツアーしたことで、地元の都市以外の地域のインディ・シーンとの交流が生まれ、ネットワークが構築され、アンダーグラウンドの活性化につながっていった。

インディ・バンドがお互いのレコードを交換したり。小さな販売ネットを作ったり・・・79年の夏から81年の夏、アメリカは火が点いた

Black Flag / ヘンリー・ロリンズ パンク・アティチュードから引用

Black Flagのグレッグ・ギンが設立したインディ・レーベルである”SST”も影響力が大きかった。バンド自身がレーベルを設立して自らのレコードをリリースするというDIY精神を示したことで、他のバンドやインディレーベル設立者の道標となった。

SSTにはDinosour Jr.、Husker Du、Minutemen、Meat Puppetsらがリリースし、シアトルからはSoundgarden、Screaming Treesが所属した。ハードコア・パンクにこだわらず、後にオルタナティヴと呼ばれるバンドが所属していたことは特筆すべきだ。。

SSTは俺たちの夢みたいなものだったから、SSTを契約するのが目標だったんだ。

ミニットメン、ブラック・フラッグ、ミート・パペッツ・・・好きなバンドがみんないたからね。

Dinosaur Jr. / Jマスシス クロスビート1995年6月号

このように、インディでは憧れのレーベルを運営していたのもこのバンドだったが、インディ・レーベルの資金難という負の側面を露呈させたのもSSTであった。

Sonic Youth

1980年代初期というのは、バンドはゴッソリいたけどレコーディング、契約とかなんてこととはまるで縁がなかった時代で、そんなシステムも受け入れ体制もなくて、ただやりたいからやる/やらずにいられないからやる、という風だった。

そんな中でも僕らは特に他とは違う音楽をやっていたから、 そういうことやっていることが何かに繋がるなんて考えもしなかった。

僕らはノー・ウェイヴもの程クレイジーじゃないし、かと言ってシド・ヴイシャス・タイプのパンクでもなかったし。その頃ニューヨークでもてはやされていたのはそのどちらかだったからね。

Sonic Youth / サーストン・ムーア クロスビート1995年5月号

そのような80年代のニューヨークで誕生したSonic Youthもインディ・シーンに多大な貢献をしたバンドの一つだ。

初期にSwansとコンサートを一緒にやったときは観客が20人くらい、少ないときは4人くらいしか集まらないという状況もあったが(クロスビート1995年5月号)、地道に活動を続け、イギリスでの好評が逆輸入される形でアメリカに広まっていった。

THE SONIC YOUTH CONCERT CHRONOLOGYでライヴ歴を見ると、1985年のBad Moon Risingツアーから全米各地でライヴを行うようになっている。

このようにツアーをすることによってメジャーレーベルから無視され続けていたパンク不毛の地であるアメリカのアンダーグランド・シーンを耕し、活性化させていったのだろう。

バンドはインディ・シーンを代表するような絶大な支持を集めるようになり、NirvanaやPavementといった後進のバンドの影響源となっていった。

また、インディ・レーベルの資金難という弱点から派生する様々な問題に直面し、メジャーレーベルとの契約を模索し始め、クリエイティブな権利を手放さないようにメジャーと契約を結んだことは、後進の多くのバンドの道標となった画期的な出来事だといわれた。