※追記です。この件に関しては2017年にレーベル担当者が見た「生身のカート・コバーン」。90年代最大のアイコン=ニルヴァーナを日本はどんな風に受け止めたのか?という決定的な記事が公開されたので、この投稿よりもそちらを見た方がよいと思います。
コンニチハ、音楽ジャーナリストの増田勇一です。
なぜ僕が自腹渡航してまでカートと話をしたかったのかを話しておきたい。
そう、今なら活字にしてもいいだろう。
あの時、僕の「カートにインタビューしたい。」というワガママに、レコード会社も編集部も予算を使える状況ではなかったのだ。要するに、日本ではネヴァーマインドの売上が、ロクに見込めていない状態だった。
しかしそれも当然といえば当然の事態。
何しろアメリカ本国での商業的成功すらアルバム発売時にはまるで期待されていなかったのだから。(中略)
当時の僕はフリーランスではなく、BURRN!編集部に在籍していた。
ヘヴィメタル専門誌である。
つまり、ニルヴァーナの、カート・コバーンの日本初直撃インタビューは、こともあろうにメタル誌に掲載されたのである。何が言いたいかといえば、当時、いかにこのバンドに対する業界の「喰いつき」が鈍かったかということだ。(THE DIG No.25から引用)
今日はTwitter上での予告どおり、NirvanaのNevermindがリリースされた当初、日本ではどのように報道されていたのか書いてみようと思います。
ブログはネタ切れですから最後の切り札を出します。
久々に「研究」したんで疲れましたw
Nevermindのリリースは1991年9月24日ですが、日本盤は少し遅れて11月7日にリリースされたようです。
当時の雑誌を振り返る前に、まずは2001年に出版されたTHE DIG No.25から。
これは、当時日本のNirvana担当ディレクターだった方の回顧録です。
それによると、Nevermindを聞いてもらうために渋谷にある某洋楽誌の編集部に最初にテープを持っていって聞いてもらったところ、副編集長から「普通ですね…」という気のない反応だったとのこと。
次にテープを持っていった神田小川町にある某編集部は乗り気で話に乗ってくれたそうです。
その後アメリカでの人気ぶりが伝わるにつれ渋谷の編集部からも電話が入るようになったと。
ちなみにこのTHE DIG No.25はこれを書いている時点でamazonで1円で売られているんで興味のある方はどうぞ。
THE DIG No.25 (シンコー・ミュージックMOOK)
渋谷にある某洋楽誌とは、99%の確率でロ○キングオンのことでしょうw
副編集長は誰だったんですかねえw
ですが、残念ながらNevermindリリース当初のroc○in’onは持ってもいないし見たこともないんですよ・・・
それに対して、神田小川町にあるのはシンコーミュージック系の音楽誌です。
Music Life、BURRN!、CROSSBEATのどれかでしょう。
しかし残念ながら当時のMusic Lifeは持っていないんで、どのように取り上げられていたかはわかりません。
持っていないものばかりですいません。
というわけで、ご紹介できるのはBURRN!とクロスビートだけです。
まずはBURRN!から。
当時BURRN!に在籍していた増田勇一さんの回顧は冒頭に書いたとおりです。
日本から海外のNirvanaにはじめて直接取材したのは、こともあろうかメタル雑誌のBURRN!だったと。
しかも当時は大人気というわけでもないですし、メタル雑誌という性質上、別に取り上げなくても良いバンドだったようで扱いは大きくないです。
白黒2ページ。
取材日は1991年11月26日で、イギリスツアー中でのもの。
この時点でNevermindはアメリカのビルボードチャートで4位まで上昇していて、カートが成功によるストレスに晒され始めていた時期です。
記事になったのはBURRN1992年2月号です。
突然変異、不透明といった言葉から、当時は異質なバンドだと捉えられていた感があります。
ちなみにそのときのインタビューはカットされている分も追加されて、先ほど紹介したTHE DIG No.25 (シンコー・ミュージックMOOK)に再掲載されています。
それにしても、よく自費でイギリスまでNirvanaに取材しに行ったよなあ。
あなたは音楽ジャーナリストのカガミです!
続いてCROSSBEAT。
増田勇一さんが直接Nirvanaに会いに行った対面取材としては日本初だったようですが、インタビュー記事としてはクロスビートの方が早いです。
これはクロスビート1991年11月号です。
ちょうどNevermindの日本盤がリリースされた時期のもの。
メインはPublic Enemy、Prince、Red Hot Chili Peppersです。
時期的にレッチリのBlood Sugar Sex Magikと重なっています。
Nirvanaの扱いは大きくないですが、「アメリカンロックの地殻変動」という特集で取り上げられています。
スマパンの名前もありますね。
こちらも白黒2ページだけですが、次号でも取り上げると書いてあります。
次号は持っていません。
インタビューは横田勇司さん。
電話インタビューだったのかな。
この方も最近全く見ないですね。
ディスクレビューです。
リリ・フランキーさんのイラストは今も昔も変わっていませんw
10点満点中9点がついています。
関口弘さんも最近は見かけない気がしますけど。
「こりゃ疑いもなく今月の目玉だ。」
「さっそくどんなリアクションが起こるか、今から期待したい。」というのが印象的です。
まあ、売れる前から評価していたって言っていいと思います。
これは当時の広告です。
上のレビューでは日本盤のリリースが10月21日となっていますが、日本盤のリリースは11月7日に延びたようです。
こちらはBURRN!1992年3月号から、Nevermindのチャート変動図です。
ちょっと小さくてわかりにくいかな?
本国で9月24日にリリースされてから約一ヶ月間はトップ100以下、そこから急上昇してゆき、マイケル・ジャクソンを蹴落として1位となったのは1992年1月11日付。
Nirvanaのヒットは「1991年度の七不思議」と書かれているあたり、誰も売れるとは予想していなかったことがうかがい知れます。
今となってはリリース直後にバカ売れしたと勘違いしている人も多い気がしますが、真実はそうではなく徐々に上昇していったと。
以上です。
つまり私が何を言いたいかというと、別に何も言いたいことはないわけでw
まとまりがないブログ記事ですけど楽しんでいただけたなら幸いです。
まあシンコーミュージック系のメディアは当初から評価していて、積極的に取り上げていたと言えるかなあ。
逆に渋谷にある出版社にとっては忘れたい過去なんでしょうかw
今となっては当時の雑誌は入手困難。
それこそシンコーミュージックの近くの神保町界隈の古本屋を徘徊しないと入手は難しいかもしれませんね。
コメント
NevrmindがHDtracksでハイレゾ24/96で配信されてます
https://www.hdtracks.com/index.php?file=catalogdetail&valbum_code=HD00602527805641
今なら”nirvana20″のプロモコードで20%OFFだそうです。
ここの管理人殿は買われましたでしょうか?
自分が買ってみた感じでは大分音圧至上主義的リマスター気味ではありますがw
ただ24/96の恩恵は確かにあり、Audacityでスペクトラム表示させる限りCDでは何をどうあがこうと22khzが限界な所が、
40khz近くまで音が伸びています
これは大きな進歩ではないでしょうか
コメントして下さるのはこれで3回目だと思いますが、このブログではコメントするごとに名前を変えることはご遠慮いただいております。
コメント確認画面にその旨が表示されるはずですが、ルールを守っていただけず非常に残念です。
R誌の反応は鈍かったんですね。今では積極的に活用していますがね。B!誌は取り上げるのは早かったかもしれませんが、その後の評価はあんまり良くなかったような…NIRVANAに限らずPEARL JAMとかも。それはTVKでの発言だったかもしれませんが、まあメタルじゃないですからね。いずれもうろ覚えですが…。そんなこんなでB!を読まなくなってしばらくCを読んでました。92年の来日あたりから。最初は冴えないボーカルだなあと思っていましたね。
TVKとか懐かしいですね。
Bで贔屓していたのは増田さんと平野さんぐらいだったんでしょうかねえ?
90年代のCは面白かったですね。
最近のCは退屈なのが残念です。
Hyottoko さん、初めまして
コベインがなぜ日本でコバーンと呼び習わされる
様になったのか、ずっと不思議に思っていました
が、この記事を拝読し、ひょっとしたら、
BURRN!(バーン)に引っ掛けたのかな、
などと思う様になりました。
コバーンとコベインに関しては別の記事で書いた記憶があります。
日本のレコード会社のオフィシャル資料がコバーンだから、みんなそれに従ったわけです。
その資料がなぜコバーンとなったかは関係者以外知る由はないですが、個人的にはBURRN!は無関係かと思います。