Pearl Jamの昔話と過去2回の来日の様子

コンニチハ、Pearl Jamのエディ・ヴェダーです。

(2003年の武道館公演で、元Soundgardenで現Pearl Jamのマット・キャメロンの方を見て)
サウンドガーデン、ブドーカン、ノー。
マット・キャメロン、パール・ジャム、ブドーカン、イエス!

月初めは忙しいので、深夜に自宅からの更新です。
前々回の宣言どおり今日はPearl Jamの昔話です。
こういった昔話が面白いと思う人が多いのか疑問に思い始めたんですが、まあ自己満足だからいいやw

以下、とても長いです。


Pearl Jamは日本で人気がないと言われていますが、当時は雑誌の表紙を飾ることもありました。
写真はCROSSBEATの1994年2月号と12月号です。
Vitalogyの前後ですから、エディが凄く若いです。

CROSSBEAT1994年2月号と12月号の表紙

CROSSBEAT1994年2月号の現地取材記事です。
ステージダイビングをしたようですが、観客に避けられなくて良かったですねw

CROSSBEAT1994年2月号の記事の一部

続いてカート死後の1994年の12月号です。
眉間にシワを寄せるエディ。
内容はカートの自殺にショックを受けたエディの発言やVitalogyについて。

CROSSBEAT1994年12月号の記事の一部

Pearl Jamの初来日は1995年の2月。
クロスビート1995年4月号の記事によると、前のツアーでの来日公演が流れてしまったとのこと。

CROSSBEAT1995年4月号のPearl Jam来日記事の一部

私は行っていません。
当時はメタル野郎でしたから、Pearl Jamは知らなかったかなあ。
はじめて知ったのは、この半年後ぐらいかなあ、よく覚えていません。

当時はチケットマスターとの戦いが原因で、アメリカでツアーをできない状況でした。
それでアジアツアーをやることになったらしいです。
だから世界的にも貴重なライヴだったようです。

日程
2月19日 仙台・イズミシティ21
2月20日 東京・日本武道館
2月22日 大阪・大阪厚生年金会館

クロスビートの記事によると、会場やホテルに待ち構えていたファンとコミュニケーションを取ったりサインをしたり。
エディは、ざんぎり頭のカツラをつけて代々木公園のホコ天でダンスやバンドのパフォーマンスを楽しむも、カツラを取った瞬間、数人のファンに囲まれたり。

仙台公演の会場のキャパは1400人弱。「日本のファンはラッキーだね。」と外人スタッフ。
そりゃあそうでしょう。
1000万枚以上も売った当時をときめくバンドを1400人ぐらいの会場で、しかもアメリカでツアーをできなかった状況を考えると、仙台公演を見た人は超ラッキーです。

大阪公演は、当初は神戸だったのが阪神・淡路大震災の影響で急遽変更されたとのこと。
エディが壁を3階までよじ登ったそうです。

東京の日本武道館は満員だったそうです。
以下武道館のセットリストです。

CROSSBEAT1995年4月号のPearl Jamの武道館のセットリスト

ただ、ドラマーがジャック・アイアンズになったばかりで大変だったとメンバーは回想していますし、そのためバンドのアンサンブルが弱かったというようなレポもあります。

1995年の来日ツアーを目撃した方は羨ましいです。
これを読んでいる方の中にもいそうですよね。

次の来日は8年後の2003年です。
評判の良くなさそうなアルバムRiot Actのツアーでした。
私は大好きなんですけどねえ。

現時点ではこれが最後の来日となっています。
もう7年も前ですか・・・

CROSSBEAT2003年5月号のPearl Jamの来日記事の表紙

これには私も行きまたし、よく覚えています。。
このクロスビート2003年5月号の記事を久しぶりに見た瞬間、何かグッと来るものがありました。

日程
2月28日 仙台・イズミシティ
3月1日 パシフィコ横浜
3月3日 東京・日本武道館
3月4日 大阪・大阪厚生年金会館
3月6日 名古屋・名古屋市公会堂

まずは私が行った武道館ですが、クロスビートの記事には「空席が目立つ。」と書いてありますけど、私の中ではガラガラだったと。
多く見積もっても武道館の7割ぐらいですかねえ。
フロアは満員でしたが、スタンドは下の方までしか埋まっていなかったです。
スタンドの7割ぐらいは空席でしたから寂しかったです。
まあ私が見たNine Inch Nailsの今は亡きNKホールでのライヴよりかはマシでしたけど。

この時点では人気面とか時代の寵児という側面では全盛期は過ぎ去っていましたから。

ただパフォーマンスは最高でした。
派手な照明は一切なし、熱い演奏だけで勝負!みたいな感じでした。
ブッシュのお面を被ったパフォーマンスも良かったです。
反戦的な雰囲気を感じました。

片言の日本語を喋っていたなあ。

サンキュー、グッドナイト!
アリガト、サヨナラ!

こう言ってステージを去るフリをするエディも良く覚えています。

そして最後は予想外のAliveという最高のフィナーレ。
ガラガラのスタンドの最上部辺りで一人で踊っていた人もいたなあ。

っていうか、この時のライヴはサイトの方でも書いているようにオフィシャルブートレグで聞けます。
武道館に限らずです。
興味のある方はWikipediaでも見て下さい。
Pearl Jam Official Bootleg Wikipedia
3/3/03 – Tokyo, Japan

CROSSBEAT2003年5月号のPearl Jamの来日記事の一部

武道館以外の様子は、唯一ソールドアウトだったのはパシフィコ横浜。
まあ武道館より遥かに小さいし、土曜日だったので仕事が休みだったオールドファンが駆けつけたのでしょう。

逆にチケットが売れなかったのは初訪問の名古屋。
でもメンバーは「空いている分は俺たちで埋めよう」と話していたそうです。
名古屋ではレーベルのスタッフに通訳を依頼。
ジェフの30代最後の誕生日を祝ったそうです。

全体的に熱いパフォーマンスを披露してくれたようです。
でも欧米での人気と日本での客の入りを考えると、この来日が最後となっているのも納得してしまいます。

Soundgardenが再結成したのでマット・キャメロンのスケジュールもハードになるでしょうし、今年の来日は無いかなあ。
でも、1995年、次は2003年と8年周期で来日しているので、2011年には期待できるかもw

まあ気長に待っていますよ。

コメント

  1. イイヅカ より:

    貴重なライヴ体験記ありがとうございます。

    素晴らしいロック・バンドであるパールジャムが日本で評価されない現状には、ただただ、嘆かわしいばかりです。

    …なんて、書いている自分もパールジャムの良さに気づいたのは割と最近だったりするので、人のこと言えませんが…(-_-;)

    今年はヴォーカルのエディーヴェダーが「アースリング」という新譜を発表したので、彼のソロでも構わないから、来日公演を期待したいものです。

    できれば、バンドが良いけど…笑

    コロナやウクライナの悲劇的な現状に鑑みて、この状況をエディーヴェダーのような表現者に、ライヴという形で、一筋の光明を我々日本人に与えてほしいものです。

    それでは、失礼します。

  2. Hyottoko より:

    来日公演は難しいんでしょうね。
    実現するならフェスでしょうか。
    ソロアルバムは結構良かったですね。

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