カート・コバーンとエディ・ヴェダー(Pearl Jam)の対立

コンニチハ、カート・コバーンです。
パール・ジャムやアリス・イン・チェインズみたいなバンドはオルタナティヴの波にのっかった、ただの操り人形だ。
ヘアスプレーやコック・ロック(男根主義ロック、80年代の主流だった商業的なヘヴィメタル)に何年もいたのが、突然髪を洗うのをやめてネルシャツを着始めた。
わけが分からないよな。

自宅のオーディオ機器再編のため、部屋を広くしようと不要なものを整理する日々が続いています。
一番邪魔なのは10年分ぐらいの音楽雑誌です。
捨てるわけにはいきませんが。

ついつい古い音楽雑誌に没頭してしまって作業がはかどらないのですが、今日は古い雑誌を元に大衆受けしそうなネタを紹介します。
人間は悪口が大好きですからw

カート・コバーンとエディ・ヴェダー(Pearl Jam)の対立していたのは知られていますが、その内容まではあまり知られていないようです。
調べている人が多いようなのでリクエストにお応えしましょう!
まあ、インタビューなんてあまり当てにならないかもしれませんけど。

以下、超長いです。
文字をタイプするのが面倒になったので途中で挫折しそうになりましたw
所詮はくだらないゴシップネタですから、暇な方だけどうぞ。


上の太字のカートの発言によれば、Pearl Jamはヘアメタルだったとのこと。
Pearl Jam以前のエディ・ヴェダーがヘアメタルだったのかどうかは不明ですが、ストーン・ゴッサードとジェフ・アメンは商業的なメタル野郎だった可能性が高いです。
Green Riverのアレックス・ヴィンセントによれば、二人ともヘアメタルを聞いていたようです。
詳しくはウチのサイトのGreen River (グリーン・リヴァー)を読んで下さい。

ちなみに、ストーン・ゴッサードは95年の来日時に弁明しています。

ハッハッハッ(照れ隠しっぽい笑い)、アレックスの言ったことだろう。
その時代ごとに流行った曲をとりあえず聞いてはいるんだけど。
ホワイトスネイクは余り好みじゃなかったけど、ボン・ジョヴィなんかは耳に入っていた。
いろんな意味でロック・ミュージックは段階的に変遷してきてるからね。
情熱的にって感じじゃないだろうけど当時は聞いていたんだろうな。

苦しい言い訳のように思えてしまいますw
結局、Green Riverはメタル組とパンク組の対立で崩壊してしまいましたが、ストーンとジェフはMother Love Boneというバンドを結成します。

GoogleでMother Love Boneとイメージ検索すればわかりますが、外見だけで言えば微妙にヘアメタルw
何かでMother Love Boneのライヴ映像を見た記憶がありますが、フロントマンのアンドリューは結構ロックスターでした。

続いて、Pearl jamのもう一人のギタリストであるマイク・マクレディ。

俺はシャドウっていうヘヴィ・メタル・バンドに11歳のときから9年間もいたんだから。
ストーンと俺はシャドウにいたときから友達で、あいつはまだギターを弾けなくってさ。よく俺達のショウに来ていたっけ。
ストーンが俺のやっていることを気に入ってたから、マザー・ラヴ・ボーンが解散した直後に、ある日突然連絡が入りPearl Jamが始まったんだ。

あんな青臭いときもあったのは確かで、ジューダスプリーストやアイアン・メイデン、マイケル・シェンカーに結構入れ込んでいたし、革のパンツを履きそれに合った服を着てた。
他にもモーター・ヘッドだろ、ガールだろ、ハイノ・ロックスだろ・・・
そうそう、ストーンと俺は日本から流れてきたガールの写真を集めていたこともある。
このテの話はストーンは絶対にしないけどね(笑)。

ヘヴィ・メタルが好きだったのはずっと若い頃で、後はストーンズやジミヘン、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、マディ・ウォーターズが気に入り、ブルースの世界に入っていったんだ。

つまり俺は、昔の影響をガンガン捨てていきながら、成長したってわけさ。

正直ですねw
でもモーター・ヘッドやアイアン・メイデンは悪くないと思いますけど。

そういうわけで、カートの批判はあながち的外れではないでしょう。
シアトルでそれを見てきたんでしょうし、Green Riverのパンク組が結成したMudhoneyと仲がよかったわけですし。
カートにとってはオルタナ・グランジ・ムーヴメントに便乗したバンドと思えたのかもしれません。

カートだってはじめて行ったライヴはサミー・ヘイガーだったようですし、人の好みなんて変わって行くとも思いますけど。

カートは他にも様々な批判を展開したようですが、俺には良くわかりません。
喧嘩を売られたPearl jamが反撃したのかどうかも良くわかりません。
ライバル関係を煽ったのはマスコミだったのでしょうか?

最終的に両者は和解したようです。
まずはエディ・ヴェダーのコメント。

まずはじめに、俺達が得たような急激な成功は、ある程度の軽蔑や敵意を引き起こすんだ。
俺自身、いろいろ苦労したよ。
正直なところ、雑誌の一面にバンドや自分の写真が載っているのを見ると、時々あの男のことが嫌になってさ。

俺はローリング・ストーン誌からあいつにこう言ってやった
「バンドがローリング・ストーンのカヴァーを飾る頃には、Nirvanaの音楽はもう好きじゃなくなっているよ」ってね。

そして大抵何かが変わってしまう。
有名になっちまったら、もうそのバンドを好きでいることは面白くないのさ。
それだから、俺はバンドが成功してこんなレベルまで来てしまったことでも問題を抱えるようになり、敵意や疑いを持ってる人間と渡り合うことができるようになった。

もし俺が連中だったら、俺だってバンドのことをこき下ろしていただろうな。
君たちのコメントを耳にしたのを思い出したんだけど、プレスの記事や写真、あるいはレコード会社の売り出し方とか、特にヨーロッパじゃレコードに「シアトル・サウンド」ってステッカーを貼られちまうし、とにかく俺達がコントロールできないようなものからしかリスナーがバンドのことを知ることができない場合には俺だって同じことを言うだろうよ。

こういうことがあったんで、俺は個人的に俺達の売り出され方ってのを調べて、こう言ったんだ。
「じゃあ、俺たちあの競技場から出てようぜ」ってな。

あいつらの言い分にも多分一理あったことが分かりかけたんだ。
俺にとっては、パール・ジャム VS ニルヴァーナっていうのはもう手に負えないものになってしまったんだよ。
この件は表沙汰にするべきじゃなかった。
でもまあ、今じゃお互いの関係は上手くいってるんだ。

お互いの関係を大事にするようになった経緯は話したくないね。
これでこの話はお終い。

次にカート・コバーンです。
こちらも口調は重いです。

その話は余りしたくない。
他人をこき下ろしても、自分のためにならないということを今回の件で思い知ったよ。
パール・ジャムとニルヴァーナのあいだのいざこざはずっと続いていたわけだけど、ようやく上手くいきかけていることを考えると、これまでのことが残念でならないね。

エディとの一件は最初から何もなかったのさ。
パール・ジャムは好きなバンドではなかったから、こき下ろしただけ。
しかもエディに会う前の話だ。
悪かったのは僕だよ。
こき下ろすんだとしたら、彼らではなくレコード会社にすべきだった。
あいつらは自分たちの意思に反して、気づかないうちにグランジに便乗する形でマーケティングされてしまっていただけなのさ。

でも今回のアルバム(In Utero)ほど、あいつらがオーディエンスに挑戦していないことは確かだね。
あいつらは健全なロック・バンドさ。
万人に好かれる優等生ロックバンドなのさ(笑)。
ちぇ、もうちょっとましな言い方を考えていたのにさ。

何が頭にくるって、僕ら自分たちの持てる最高の曲だけを集めて1枚のアルバムを創ることに、いつも必死なんだ。
今いるバンドの大半よりも、僕達の方が勝っていると自負しているよ。
でもアルバムを創るには、何曲かキャッチーな曲があれば、残りはクソのようなバッド・カンパニーのパクリで構わないんだということを思い知らされたね。
でも僕にそんなことはできない。
昔から僕が好きだったのは、エアロスミスの「ロックス」、セックス・ピストルズの「勝手にしやがれ!!」、レッド・ツェッペリンの「レッド・ツェッペリンII」、AC/DCの「バック・イン・ブラック」というように、次々と名曲が飛び出してくるようなアルバムだったんだ。

両者の間でどういうやり取りがあったのかは知る由もないですが、関係は修復されたようです。
でもカートはPearl Jamの音楽についての考え方は変化していなさそうですw

長くなったのでこれで終わり、暇潰しになれば幸いです。

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