Alice In Chains 24曲 (You Tube)
Alice In Chains (アリス・イン・チェインズ)の概要
87年にシアトルで結成。
シアトルのバンドとしては珍しくインディからリリース経験なしにメジャー・デビューを飾った。
アリス・イン・チェインズは「バービーちゃんメタル」をやってた。
ラット(80年代のメタルバンド)そっくりだったよ。心から楽しそうだったけどね。
ヤング・メタル・バンドというのが、当時の彼らの真の姿だったんだ。
Soundgarden / クリス・コーネル ロッキングオン1994年5月号から引用
そんな彼らも90年に1stアルバムFaceliftをリリースする頃には個性を確立。
メタルのようだが今までのメタルとは何かが違う。
当初はこんなことが囁かれていたようだが、ジェリー・カントレルのヘヴィでメロディアスなギターとレイン・ステイリーの暗黒的な歌声と詞によるところが大きいといわれる。ミドル・スローテンポの曲が多く、うねる様なダークサウンドはそれまでのメタルとは確実に異なるものだった。
レニー・クラビッツなんか聞いていると敬虔な気持ちになり、平和だの愛だのについての曲を書いてみたいって思ったりもするんだ。
でも、いざ書き始めるといつの間にかピース&ラヴから「このホテルの窓から、ひと思いに飛び降りたら・・・」って自殺の歌になってる。
どんなに明るい曲を書こうと取り掛かっても、俺にはどうやったってそいつをハッピーなまま最後まで持っていくことができないのさ。
それがどうしてなのかわかんないけど。
Alice In Chains / レイン・ステイリー CROSSBEAT1993年12月号から引用
Faceliftがメタル系バンドに気に入られ、その手のバンドとツアーをしたことによりメタル・ファンにアプローチした結果、最終的に150万枚売り上げシアトル勢としては初の大成功を収めることとなった。
その後、グランジ・ブームが勃発するとシアトル出身ということでグランジ・オルタナとしても語られることになった。
しかし、メタルを前面に出した音楽性、上述のような成功経緯、メタル系バンドとのカラミなどにより単なるメタルとして受けとめられた感もある。
日本のジャーナリストの中には「グランジの皮をかぶったメタル」と評価した人もいた。
徐々にレインがドラッグにハマっていくとともにバンドの活動も失速していった。
95年の3rdアルバムはギリギリのところで製作されたようだが、レインが嫌がる長期のツアーは行われず単発的な活動をするにとどまっていき、解散説まで噂されるようになってしまった。
レインはああだけど、俺たちはヤツと一緒にこの世界に関わっていて、そこで一緒にやることを選んだ。
だから一緒に(ツアーを)やらないと選択したことになるんだよ。
それにバンドは終わっちゃいない。
まだ分かち合うものはあるんだからね。
Alice In Chains / ジェリー・カントレル MUSIC LIFE1997年1月号から引用
このように語っていたものの、レインは復活することができず、ジェリーがソロ・アルバムを発表するなど他のメンバーはバンド外活動に力を入れるようになっていった。
もはやバンドは存在しないも同然で、レコード会社との契約消化のためかどうかは分からないが、ベストアルバムやライヴアルバムが続けてリリースされた。
2002年4月、ドラッグによりレインが死亡。オリジナルメンバーでの復活は永遠に実現不可能になってしまった。
2005年、ジェリー・カントレル、ショーン・キニー、マイク・アイネズの3人はシアトルで開催されたスマトラ沖地震の津波の被害に関するチャリティイベントに参加。Alice In Chainsの再結成だと話題になった。
Toolのメイナード・ジェームス・キーナンなどの数人のゲストが交代でヴォーカルを担当するというものだった。
この出来事が本格的な再結成に繋がっていったようで、2006年にはUSアンダーグラウンドで活動してきたウィリアム・デュヴァールが正式にヴォーカリストとして加入し、各地でツアーを行った。
2009年にはアルバムBlack Gives Way to Blueをリリース。
好評を得ているようだが、当然のことながらレイン時代のファンからは評価は様々だった。
ウィリアムが加入してから2020年までにアルバムを3作リリースしており、現メンバーでの活動が板についてきた感がある。
関連リンク
Alice In Chains (アリス・イン・チェインズ)のアルバム紹介
おすすめアルバム
Dirtは90年代の名盤。
ヘヴィな面だけではないことを知らしめたアコースティックなアルバム。