Dead Kennedys (デッド・ケネディーズ) Jello Biafra (ジェロ・ビアフラ)

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Dead Kennedys (デッド・ケネディーズ) Jello Biafra (ジェロ・ビアフラ)の概要

Dead Kennedysは80年代に活躍した政治色の強いパンクバンド。ハードコアに分類されることも多いが、様々なロックから影響を受けており、テクニカルな演奏も聞かせる。

しかし、このバンドの個性を決定付けているのはヴォーカルのジェロ・ビアフラだろう。
震えるような声で歌うスタイルは独特で、政治的な歌詞は眉間にシワをよせるほど堅いものではなく、ブラック・ユーモア満載で面白おかしくフザけたような歌詞が多い。

それゆえ「貧乏人を殺せ」というような逆説的な歌詞が目立つ。

もちろんビアフラが本当にそう思っているわけではなく彼なりの皮肉なのだろうが、誤解を受けることも多かったようだ。

また、ビアフラは市長選に突如立候補したこともある。

78年にサンフランシスコで結成。

オルタナティヴ・テンタクルスという自主レーベルを立ち上げてシングルをリリースしていった。

80年にイギリスのレーベルから1stアルバムをリリースし、当時のアメリカのパンクバンドとしては知名度が高かったこともあり81年には日本でもリリースされている。

デッド・ケネディーズが注目されたのは、「ケネディ一家の暗殺事件」を連想させる危険なバンド名だったことも原因として挙げられるだろう。

政治的な歌詞やパフォーマンス、現在とは比べ物にならないほどパンクを悪しき音楽だとする風潮などが相まって、当時は公的な機関から色々と弾圧されたようだ。

85年にはビアフラが最高傑作だという3rdアルバム”Frankenchrist”をリリースするが、バンドは重大な事件に巻き込まれる。

Frankenchristに付属していたポスターが猥褻だとされ問題となってしまったのだ。

ポスターを見たい方はFrankenchristのWikipediaにアクセスしてほしいが、男性の性器と女性の性器が結合している絵を機械的に何組も並べたものだ。

セックスの商品化と消費者社会による非人間化を表しており、流れ作業的なセックスの絵をメタファー(比喩)としている。

ジェロ・ビアフラ

アーティスティックな表現にもかかわらず、ビアフラの借家やオルタナティヴ・テンタクルスなどに家宅捜索が入り、バンドは告訴されてしまった。

刑罰自体はそれほど重くはなかったが、悪しき前例を残さないためにバンドは裁判で争うことを決意した。

後に続くアーティストや新しい機関誌などのために醜悪な法的前例を残さないようにあえてこの告発と戦うことにした。

ジェロ・ビアフラ

バンドとオルタナティヴ・テンタクルスは巨額の裁判費用に耐え、1年後に完全勝利とはいえないまでも証拠不十分となった。

しかしバンドは裁判の結論が出る直前にラストアルバム”Bedtime for Democracy”をリリースして解散してしまう。

ビアフラとギタリストのイースト・ベイ・レイの対立が解散理由だとされているが、裁判での消耗も解散の引き金となったといわれている。

Black Flag同様、オルタナティヴ・ムーヴメントが勃発する前にバンドが解散してしまったが、ビアフラはオルタナティヴ・テンタクルスの単独オーナーとしてレーベルの運営に力を入れていく。

最も知名度が高いバンドはNeurosisだろうか?

90年代のオルタナティヴ・ムーヴメントに何百万枚も売上げたバンドは在籍していないが、反主流で反商業的という真の意味でのオルタナティヴなバンドを発掘していったといわれている。

現在でもレーベルは存続中だ。

ビアフラのソロ活動としてはヘンリー・ロリンズ同様にスポークンワード(詩の朗読、喋り芸)が挙げられ、Jello Biafra名義でアルバムもリリースし、Home Alive : The Art of Self Defenseにもスポークンワードで参加している。

音楽活動としては他のバンドとのコラボレーションが多い。

数が多くて全てを網羅することは難しいが、代表的なのを挙げるとMinistryとタッグを組んだLard、Nirvanaのクリス・ノヴォゼリックとSoundgardenのキム・セイル等とNo WTO Comboというバンドでライヴを敢行、2004年にはMelvinsとアルバムを製作した。

Dead Kennedys解散後、Dead Kennedysの作品はビアフラが運営してきたオルタナティブ・テンタクルスが管理してきたが、残りのメンバー3人はギャラの支払いがおかしいことに気がついた。

ビアフラと話し合いで問題を解決しようと試みるも上手くいかず、98年に3人はDead Kennedysの作品の権利をオルタナティブ・テンタクルスから奪い取ろうと裁判を起こすに至った。

2000年にビアフラは敗訴、デッドケネディーズのバックカタログはオルタナティヴ・テンタクルスからは消え失せ、他のメンバー3人の支配下に置かれることとなった。

ジェロ・ビアフラが作詞作曲したことになっていた曲のクレジットもDead kennedys名義に書き換えられた。

3人は和解の印としてDead Kennedysの再結成をビアフラに持ちかけたようだが、ビアフラはこれを拒否。

ビアフラと3人の対立が根深いことを感じさせるものの、ビアフラはそれ以前から過去を振り返るような再結成には否定的であった。

ビアフラ以外の3人は80年代に他のハードコアバンドで活躍したヴォーカリストを迎えて再結成。

ビアフラ時代と区別するためか、当初はDK Kennedysと名乗っていた。

メンバー間の対立により後味の悪いDead Kennedysだが、The Clashから受け継いだ政治的なパンク精神は90年代のRage Against The Machine、2000年代にはSystem Of A Downに受け継がれていった。

2008年現在、パンクと呼ばれるバンドにはDead Kennedysのようなインパクトを感じられないのは非常に残念だ。

関連リンク

Dead Kennedys (デッド・ケネディーズ) Jello Biafra (ジェロ・ビアフラ)のアルバム紹介

おすすめアルバム

デッケネの1stアルバムをおすすめしたい。

ビアフラ自身は3rdアルバムを気に入っているようだ。

デッケネのライヴアルバムは個人的にお気に入り。

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