グランジ・フォロワー研究は無事終了し、今の研究対象はカート死後からオルタナ・ブーム終焉なんだけど、某雑誌に書いてある通りPearl JamとSmashing Pumpkinsって本当に気の毒なバンドだと思う。
オルタナのリーダー扱されていたカートの死後、そのリーダーとしての重圧を背負うことになってしまったからです。
オルタナは、取って代わるもの・反主流的なもの・既存のものを打ち破るものだ。
音楽的停滞や退行は許されず、同じ音楽を繰り返すことを良しとしない。
自分が作った音楽すらも捨てて前進せねばならない。大ヒットした前作を世襲するのは悪しきこと。
こうした重圧がカートの死によって増したのだとされる。
個人的には非常に耳が痛い(苦笑)。バンドに期待することは悪しきことなのかと考えてしまう。
パール・ジャムは最近のインタビューで”3rdと4thの頃がソングライターとして一番きつかった。人々の期待に縛られて自由がないと感じた”と語っている。
その3rdアルバムVitalogyは超大ヒットを記録するが、荒々しく取っ付きにくいものとなり、4thアルバムNo Codeは最も内向的で実験的な印象を受ける。
どちらも過去の作品の影は薄く、パール・ジャムらしくないとの批判もあった。
プレッシャーから開放される術を学んだ5thは逆にパール・ジャムらしいアルバムだ。
周りがオルタナのリーダー扱しようが関係ない、好きにやるだけだと開き直った感がある。
対してスマッシング・パンプキンズはもっと哀れだ。
93年のSiamese Dreamが大ヒットしたことで、オルタナとしての自覚と責任が芽生えたらしい。
解散前に、オルタナの重圧はあったけどカートの死によってそれが増したと感じたことはないといっているが。
ともあれ、95年リリースのメロンコリーでオルタナのリーダーとしての責任を全うすることに成功した。
だが、問題はその後だ。音楽的前進のためエレキギターの音を控えニューウェイヴ色を強く出したとされる98年作Adoreが、従来の音楽性を期待するファンから見向きもされず、商業的に失敗に終わる。
その後、音楽シーンはLAメタルの再来状態になっていく。
売れなければリーダーとして意味がないことを自覚していたのだろうか、その後は売れなくても好き放題続けるという選択肢をとらず、「ゴミみたいな音楽(アイドルやニューメタル)との戦いに疲れた。」といって解散してしまう。
解散理由は、人間関係的な要素もあったらしいが、NINのFragile不発と並んでオルタナの敗北といっていい出来事だった。
ビリー・コーガンが自意識過剰だったと言えばそれまでだけど、彼なりに必死に戦ったんだと思うと悲しいですね。