The Afghan Whigs (アフガン・ウィッグス)

The Afghan Whigs 12曲

The Afghan Whigs (アフガン・ウィッグス)の概要

長らく歴史の中に埋もれてしまっていた良質なバンドなので、有名バンドを一通り聞いた後にはおススメしたい。

Afghan Whigsの音楽性は他の多くのバンドと同じくハードロック、へヴィメタルとパンクの融合したようなものだが、他のバントとは決定的に違っていたのはソウルやR&Bなどのブラックミュージックの影響を感じさせる要素を持ち合わせていたことだった。

また、ヴォーカルのグレッグ・デュリの魂のこもった熱唱も印象的だ。

登場した時代が違ったならばエモとカテゴライズされていたかもしれない。

シアトルからはるか遠いオハイオ州シンシナティでグレッグ・デュリを中心に前身バンドであるThe Black Republicansが結成されたのは1986年で、1988年にはAfghan Whigs名義でBig Top Halloweenというアルバムを自主制作した。

SUB POPから作品をリリースしていたThe Fluidというバンドのドラマーが、SUB POPの経営者の一人であるジョナサン・ポーンマンにAfghan Whigsの音源が収録されたカセットテープを手渡したことをきっかけに、1989年にサブ・ポップと契約を結ぶに至った。

サブポップと契約したアメリカ北西部のシアトル近郊以外のバンドとしてはThe Fluidについで2番目にあたる。

サブポップからはアルバムを2枚リリースしたが、1992年にリリースされた2枚目のCongregationというアルバムには、サブポップの財政難の影響でレコーディングが遅れ、更には1991年8月にレコーディングが完了してもサブポップにはアルバムをリリースする資金があるのか疑わしかった。

しかしNirvanaのNevermindが大成功を収めたためサブポップの財政が回復したことで問題は解決し、グレッグ・デュリはLAでNirvanaのショウに行きカート・コバーンを抱きしめて感謝したという逸話がある。

その後はエレクトラと契約を結び、活動の場をメジャーレーベルに移し1998年までに3枚のアルバムをリリースした。

ビルボードチャートの最高位は79位。

わずかな成功はおさめたがバカ売れしたわけではない。

日本においては日本国内盤がリリースされ音楽雑誌にはディスクレビューが掲載されてはいたが、私にはインタビュー記事は発見できなかったし、来日公演を開催した形跡もない。

2001年バンドは解散を発表した。

各メンバーの自宅が遠く離れ過ぎていたことが主な理由とされている。

グレッグ・デュリは解散前から始めていたTwilight Singersというバンドでの活動に力を入れるようになった。

2006年、一時的に再結成し2曲レコーディング、ベストアルバムに収録された。

2012年、MogwaiがキュレーターをつとめたI’ll Be Your Mirrorというフェスティバルに出演し、本格的な再結成へと舵を切った。

再びサブポップに所属し、2014年と2017年にアルバムをリリース。

2014年のDo to the Beastというアルバムは自己最高位となる全米30位を記録した。

またロラパルーザやコーチェラ、SXSWといった有名なフェスティバルに出演したりと、解散前よりも世間からの注目度が増したような印象を受ける。

オリジナルメンバーはグレッグ・デュリとベースのジョン・カーリーだけとなり、新たなメンバーがガンで他界したとのニュースも流れたが、2018年現在精力的にツアーを行っている。

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