シアトル・シーンとNirvanaの成功

シアトルの位置とシアトルの音楽シーン

80年代にはメジャーなバンドが来なくなり、スカウトが来ることも皆無なシアトルでは、商業的成功など誰も夢にも思わず、ただ内輪だけで楽しむために音楽をやっていたバンドが存在していた。
>>>シアトルと周辺都市の位置と説明

内輪だけで盛り上がる狭い音楽シーンゆえに、お互いのアイデアを盗みあっていた。
これはこの街独自の音楽性を生むこととなる。
そんな中で、Melvinsの存在は他のバンドに大きな影響を与えた。
>>>Melvinsの影響力

また、シアトル外のインディ・バンドがシアトルにツアーで訪れていたことも見落としてはならない。
Black FlagやHusker Duはツアーでシアトルを訪れ、Sonic YouthはGreen Riverと競演した。
これらのバンドはシアトル勢にも影響を与えた。


SUB POPの登場と商業活動

ファンジンとして活動していたSub Popが本格的にレコードをリリースし始めた。
シアトル外のバンドも含むコンピレーション・アルバムをリリース後、Green River、SoundgardenのEPをリリースした。
※関連コンテンツ:レーベル<SUB POP

88年、シアトル主流派からは失格の烙印を押されていたNirvanaだが、Sub PopはNirvanaと接触、89年に契約し、Bleachをリリース。

また、89年にはSub Popが自腹を切って英国のジャーナリストをMudhoneyのライヴに招いた。
メロディ・メーカーで”シアトル・ロック・シティ”と題された記事になり、シアトルが世界規模で注目を浴びるきっかけとなる重大な出来事であった。
そして、バンドではなくレーベルを売り込むという今までにない手法が功を奏し始める。
これらのことがシアトルのバンドのメジャー進出に繋がっていった。
>>>SUB POPの商業活動


シアトル勢のメジャー進出とNirvanaの成功

88年の時点でメジャー・レーベルが獲得に乗り出していたSoundgardenは、その誘いを蹴りSSTからアルバムをリリースする。
89年に”Louder Than Love”でシアトル勢で初のメジャー・デビュー。

90年、Alice In Chainsが”Facelift”をリリース。
150万枚のセールスを記録しシアトル勢として初の大成功を収める。
またその年には、Sonic Youthの口利きでNirvanaがGeffinレコードの別会社であるDGCとメジャー契約を結ぶ。

91年9月24日、クラブ規模で高い評価を確立していたNirvanaがNevermindリリース。
発売から2週間後にチャート入りし、初登場147位だったが、徐々に上昇し、翌92年1月初旬にはMichael Jacksonを蹴落とし1位に上り詰める。
>>>90~91年のロック(グランジ・ムーブメント直前)

これ以降、地球規模でグランジ・オルタナ・ムーヴメントが沸き起こる。


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