Melvinsの影響力
「より速く」から「より遅く」という発想
85年頃に結成されたMelvinsはGreen River、Soundgarden、Malfunkshun等と共にシアトルの音楽シーンをリードしていた存在だったようだが、その頃のUSインディのパンクといえばハードコアで、演奏や曲の「速さ」が重視されていたようだ。
Melvinsもそうしたシーンに傾倒し、シアトルNo.1の速さを誇っていたらしい。
カート・コバーンは、はじめてMelvinsを体験したとき、演奏の速さにエネルギーを感じたというようなことを日記に書いている。
そんなMelvinsは、スピーディーなハードコアだったBlack Flagが2ndアルバム”My War”で披露したスローテンポのヘヴィネスの影響を受け、「遅さ」を追求するという変貌を遂げた。
俺は覚えている、メルヴィンズがタイプライターみたいなドラミングで、光速でメロディックなパンク・ロック・ハードコアを演奏したときのことを。
その後、彼らはSt.Vitusとメロディックなブラック・サバスを合わせたみたいな不協和音を鳴らしながらスローダウンしていった。
Melvinsのバズは興奮してブラック・フラッグのMy Warを持ってきた。
これは???と同じくらい重要なんだと言って。
(カート・コバーン JOURNALSから引用)
Mudhoneyのダン・ピーターズが「彼等はある時点でうんとヘヴィになったんだ。その途端、多くのバンドが『俺たちもヘヴィになるぞ』と思い直したんだ」というように、遅さ 重さ 暗さを追求し、メタルの要素を取り入れた音楽スタイルはシアトル・シーンに絶大な影響を及ぼすこととなる。
MelvinsとNirvana
上述したように、カート・コバーンはMelvinsのライヴを見てパンクに出会ったのだが、その後Melvinsのバズ・オズボーンが、カートにパンクのレコードや雑誌、書籍をカートに回すことで「パンクとは何ぞや」を教えることになる。
当時、絶大な影響力を誇るバズには門下生のような取巻きが大勢いたようで、カートのみならずクリス・ノヴォゼリックやSoundgardenのキム・セイルもその中に含まれるらしい。
「Melvins無ければNirvana無し」と言っていいほど両者の結びつきは強い。
カートはMelvinsのローディーとして働いていたこともあったし、ジャック・エンディーノの元でBleachのレコーディングが実現したのも、当時助っ人としてNirvanaのドラマーを勤めていたMelvinsのデイル・クローヴァーの存在が大きかった。
「カートなんて誰も知らなかったけど、Melvinsの友達だったからOKした。」
レコーディングの依頼の電話を受けたジャックはこのように語っている。
そして何より、Bleachを聞けばMelvinsの影響を受けまくっているのは明らかである。
ついでに言えば、デイヴ・グロールをNirvanaに引き合わせたのもバズだ。
Nevermind成功後、カートはMelvinsのアルバム”Houdini”をプロデュースした。