商業的成功の否定その3(誤解と期待からの圧力)

マスコミやメディアに現実とはかけ離れた人物像を作り上げられ、ロックの救世主とか世代の代弁者というレッテルを貼られると、そのプレッシャーは凄まじい。
マスコミが作り上げた人物像と現実の自分とのギャップに苛立ち、大衆からの過剰な期待にプレッシャーを受ける。

「ちょっと曲を書こうと思っても、(ロックの救世主や世界で最も重要な人物として祭り上げられた)ことは何かと頭に浮かんでくる。
『この曲で重要と言えるんだろうか?俺はロックを救わなくちゃならないんだぜ。なのに、ああ、もう!』
そんなの創作意欲をそそらない。曲を作ろうとピアノの前に座っても、何度も打ちひしがれた。」(トレント・レズナー)

パール・ジャムの”Corduroy”という曲は1対100万人の人間関係を歌ったもので、あからさまな内容だからアルバムに歌詞は掲載しないことになった。
この曲では、エディ・ヴェーダーはジェネレーションx世代の代弁者という地位を完全に拒否しているように思える。
詳細はPARITAKAさんのPearl Jam Lyrics Noteを見ていただきたい。

おまえらの試験を受ける気はないからね
押されたって拒否するさ
こういう態度が奇異だとは思わないな・・・
おまえらの望むものにはなれない

このようなミュージシャンの発言は、リスナーとしては耳が痛いところだ。
結局のところ、俺もミュージシャンのためにならないリスナーなのかもしれない。

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