Blind Melon 11曲(You Tube)
Blind Melon (ブラインド・メロン)の概要
Blind Melonは、シアトルはおろかインディで活動していたわけではないがグランジにカテゴライズされることも多かったようだ。
しかし彼らの特徴は他のバンドがやっていそうでやっていない独自の音楽性だった。
音楽性は古いハードロックを土台に、ファンクやカントリー、ジャズっぽさもあればブルージーな面も聞かせるという、様々な要素が混ざり合っているのが特徴だ。
当時はカリスマ・シンガーと高い評価を得ていたシャノン・フーンの歌声に魅かれた人も多いだろう。
そのようなサウンドで唯一無二の個性を輝かせていたと絶賛されていたが、人によっては「単なる70年代の焼き直し」としか聞こえないかもしれない。
Blind Melonは91年(89年という説もある)頃に結成され、製作したデモテープによりメジャーレーベルが争奪戦を繰り広げた。
デビュー前からGuns N’ Rosesのアクセル・ローズに気に入られ、Don’t Cryという曲にゲストで参加し、ビデオクリップにもネルシャツ姿で出演していた。
また、アクセルはライヴでもBlind Melonをプッシュしていたようだ。
知名度を高めたその後、92年にセルフタイトル作でアルバムデビュー。
No Rainという曲のヒットもあって、アルバムは400万枚以上のセールスを記録した。
しかし、Guns N’ Rosesとの絡みやオジー・オズボーンとのツアー、ヘヴィメタル系のフェスに出演したかと思えば、Soundgardenなどのオルタナ系バンドとのツアー、PILに帯同したりと、そのような中途半端な活動内容が、旧体制バンド寄りなのかオルタナティヴに属するのかハッキリしない曖昧な存在にさせてしまったと、日本盤のライナーで指摘されている。
実際、オルタナティヴという言葉が本来の意味を失い「メタル以外のヘヴィでノイジーなバンド」を示す言葉に成り下がってしまった(オルタナティヴとは?を参考にしてほしい。)時期である95年にリリースした2ndアルバムSoupは音楽の幅が広がった良作に仕上がったが、売上は1stアルバムと比べると激減してしまった。
特定の音楽を示す言葉になってしまったオルタナティヴとは似ても似つかない音楽性が災いしたのだろうか?
95年のツアー中にシャノン・フーンがドラッグで死亡、Nirvana同様にバンドは解散せざるをえない事態となってしまった。
しかし2006年には新たなシンガーと共に活動を再開すると発表され、2008年4月にはFor My Friendsというアルバムをリリースした。