オルタナティヴとは?

オルタナティヴという音楽用語は、ニュー・ウェーヴ系のバンドのことを示していたようだが、Nirvanaのグランジ革命が勃発すると、80年代に流行していた商業的な音楽に対してカウンターカルチャー的な意味合いを持つようになった。

言葉の意味は「取って代わるもの」「代わりとなるもの」という意味で、分かり易く言うと当時メインストリーム(主流)だった音楽の代わりとなるものだ。

80年代のメインストリームだった音楽は商業的な成功ばかりを狙う似たり寄ったりのバンドで溢れていた。

それらのバンドに取って代わるバンド、正反対の音楽、つまり商業主義とは無縁な反主流的な音楽、それまでチャートの上位にランクインされることの無かった新しいことをしているバンドのことである。

反主流的なバンドがNirvanaのブレイクによってメインストリームに台頭してきた。それらのバンドの多くは80年代にインディーで活動していた。それで、”オルタナティヴ=インディ出身”と解釈される場合もある。

80年代のインディバンドは、売れ線バンドのように流行に合わせるといったこととは無縁であり、流行クソ食らえ!俺は我が道を行くだけだというPunk精神を持ったバンドが多い。

インディでは売れることを強要されることは少なく、思うがままに活動することが可能だった。

厳密に考えれば、オルタナティヴ・バンドが流行した(主流になった)時点で、オルタナがオルタナでなくなったといえる。

しかし、Nirvanaの”In Utero”やSmashing Pumpkinsの”Adore”、Pearl Jamの”Vitalogy”のように、前作で大ヒットした音楽性を否定するかのようなアルバムをリリースすることでオルタナティヴであり続けたともいえる。

一連の流れを知りたければ、グランジ・オルタナティヴの歴史を読んでほしい。

オルタナティヴとは、特定の音楽を示す言葉ではない。反主流・商業とは無縁といったことを連想させるバンドならば、轟音ラウド系、ミクスチャーからアコギ弾き語りまで一括できる便利な言葉だ。

しかしオルタナティヴといえばラウドな音楽性を連想する人が多いようで、Beckがなぜオルタナなのか疑問に思う人も多い。

それは「オルタナ=Nirvanaのようにノイジーなバンド」とか、「ヘヴィメタル以外のラウドでノイジーなバンドは全てオルタナ」というマスコミやレコード会社のレッテル付によるところが大きい。

本来の意味ではなく、特定の音楽を示す言葉としてビジネスに利用されていった。


逆に反主流的、反商業的、革新的であろうと無かろうと、新しく登場してきたバンドは全てオルタナティヴという言葉と共に売り出されたこともあった。

Garbage / デューク・エリクソン 2001年

社会をかき混ぜて人々の注意を喚起し、時の主流とは相反する新しい音楽への興味を促すのさ。

それは社会全体にとって意味深いことだよ。”時の主流”の人たちにとっては良いニュースとは言えないけど(笑)。

問題は、この”オルタナティヴ”という言葉が特定の音楽ジャンルを示す言葉になってしまったことだ。領域を狭めてしまったんだ。突如凄い焦点が定められて、ラジオ局のフォーマットになってしまったのさ。

それは全くオルタナティヴの本来の意図に反していただろ?


そもそも開放するためのものだったのに、逆に閉ざされたものになってしまったわけだから。

そういう状況が定着しつつあったときに僕らがデビューした。(95年)

だから、僕らは自分たちをオルタナティヴとして捉えたことは無い。

“(特定の音楽ジャンルを示す)オルタナティヴ”へのオルタナティヴだと思っていたからね(笑)

Tool / メイナード・ジェイムス・キーナン 2001年

“オルタナティヴ”っていう意味では、僕らはデビュー当初(93年頃)からそう呼ばれる数少ないバンドの一つではあったんだ。・・・

そのうち、紹介されるバンドは何でもかんでもオルタナティヴになっちゃってね。本来オルタナティヴっていうのは、みんなより先に進んだことをして新しい音楽を切り開いていこうとするバンドのことを意味していたはずなのにさ。

とにかくみんな”売る”ってことしか考えてないんだ。

だから、聴いていて退屈で、ポピュラーミュージックとして認知されているようなものにオルタナティヴって名称をつけて、「これこそアーティスティックなアプローチで作り上げたアートだ。」みたいな言い方を、マーケット戦略として使っただけなんだ。

Smashing Pumpkins / ビリー・コーガン 2000年

(94年に参加した)ロラパルーザが一つの鍵だといいたいところだけど、正直僕にとってはオルタナティヴ・ミュージックが死ぬと感じた瞬間だったね(苦笑)。

ロラパルーザでオルタナティヴが、アメリカの中産階級、いわゆる「成りきりエディ・ヴェダーたち」と結びつくのを見た瞬間から、あとは下り坂だなと思ったよ。

93年から94年辺りにかけて、オルタナティヴは純粋なアートからエンターテインメントへの一線を越えちゃったんだ。

反主流的で反商業的なバンドはいつの時代にも存在するものだ。

しかし、上のインタビューにあるように”紹介されるバンドは何でもかんでもオルタナティヴ”に成り下がってしまった。

正直言って、このサイトで紹介しているバンドの中にも個人的にはオルタナティヴとは思えないバンドもある。

80年代の商業的な音楽を失墜させたオルタナティヴなバンド、”そういうバンドと似たような音楽性=オルタナティブ”というビジネス的なレッテルの元、徐々に本来の意味を失ってしまったのだ。

2000年代に入ってもオルタナという言葉は使用されていたものの、時が経つにしたがってネット上ではともかく日本の雑誌では使用されなくなってきた。

代わりに”USインディ”という言葉をよく目にする。

どんなバンドに反主流的で反商業的な雰囲気を感じるかは人それぞれ。しかし、本来の意味を忘れないでほしい。

以下にミュージシャンの発言を幾つか挙げておくので参考にしてほしい。

ミュージシャンの発言集

Nirvana / カート・コバーン (JOURNALSから引用)

オルタナティヴを自称するバンドはたくさんいるけど、実際は数年前に流行ったサンセット・ストリップ(ロサンゼルスの通り)の長髪メタル・バンドから余分なものを省いただけだ。

パール・ジャムやニンフスやらの初犯犯罪者級バンドと俺たちが関係あるなんていう説は抹消して欲しい。

・・・

アンダーグラウンドやパンク・ロックのバンドはそういう雑誌(商業主義にのっとったロック雑誌)からずっと無視されてきた。パンク・ロックじゃ雑誌は売れなかったからだ。

ちょうどニュー・ウェーヴみたいに、パンク・ロックは商業雑誌から「オルタナティヴ音楽」という新しい名前を授かった。

そして、やっぱりニューウェーヴの時みたいに、こういう雑誌に紹介されるのは、その中でも最も売れ線狙いのバンドだけだ。

Sonic Youth / サーストン・ムーア (ロッキングオン2000年10月号から引用)

俺たちにとってラッキーだったのは、ニルヴァーナみたいなオルタナティヴ・ロックがビッグになってくれたおかげで、その前から演ってた俺達のバンドもそこに吸収されたってことだったんだよ。

そのおかげでマーケットが俺たちの方に歩み寄ってきてくれたわけだからさ。

だけど、それと同時にオルタナティヴ・ロックってのは「こうあるべきだ」っていう基準が生まれ始めたんだよ。

俺はどんな基準にも属するつもりもないよ。

俺がオルタナティヴ・ロック・シーンで興味深いと思ったのは、常にアンダーグラウンドのバンドだったわけだし、そういう音楽こそ、メインストリームの音楽に対抗するものなんだからさ。

俺にとってのオルタナティヴ・ロックっていうのは、バッドホール・サーファーズだったり、ボアダムスだったり。

例えばペイヴメントみたいなバンドからは、クリエイティヴなマジックが確かに生まれていたわけでさ。

で、なにより最悪だったのはオルタナティヴ専門のラジオ局ってやつだったよな。
勘違いして欲しくないんだけど、俺はポップ・ミュージックも好きなんだよ。ただ、要は興味がないってことだね。

俺たちがやろうとしてることってのは、人々がオルタナティヴ・ロックに期待しているものを、いかにして裏切ってやるかってことなんだよ。

セックス・ピストルズが20年前にやろうとしたのも、まさにそういうこと(オルタナティヴに対するオルタナティヴ)だったんだ。

ある時、ジョニー・ロットンがインタヴューで「俺たちみたいなバンドがもっと出てきてほしい」って言ったら、次の瞬間には、彼らのコピー・バンドみたいな連中が山のように出てきた。

すると、その後のインタヴューで、ジョニーはこう言ったんだ。

「違う、違う、そういう意味じゃない、俺たちみたいなサウンドを演るバンドが出てきてほしいんじゃない、俺たちみたいなやり方でやってほしいんだ、メインストリームとは関係なく、自分達のやりたいようにやるってことだ。」だってさ。

俺が言いたいのもそういうことなんだよ。

偉大なバンドっていうのは、ワイヤーとか、スリッツとか、ポップ・グループだとか、ギャング・オブ・フォーだとか、みんなそうだったんだ。

メインストリームで成功するなんてことはなんの興味も持っちゃいない。

じゃなかったら、こんなこと続けてる意味もないんだよ。

Soundgarden / クリス・コーネル (ロッキングオン1996年6月号から引用)

本当に今や、オルタナティヴは単なるジャンルの一つになってしまったね。

こういうルックスで、こういうサウンドで、こういうことを歌ってればオルタナティヴ、みたいなさ。奇妙な環境だよ。

84年にはオルタナティヴ・ミュージックとは何でもありのオープンなフォームだったんだ。

だからいろんなバンドが、パンクやポスト・パンクのニュー・ウェイヴ的なもの、ラップやヘヴィメタル、東洋的なサウンドやリズム、あるいはキャバレー的なものまで、なんでもミックスして演奏することができた。

今じゃ皆なんとなく、ボストンのカレッジ風か、REMの亜流バンドか、ニルヴァーナ風かって感じだよね。

スクラッチなギターに、坊主頭に、人畜無害で政治的に正しい歌詞・・・残念だよ。

結局、現在のシーンで真の意味でオルタナティヴなのはやっぱりスキッド・ロウ(80年代のメタルバンド)だってことになっちまう(笑)。

奴らはもう商業的に有効性を持たないわけだからな。

Sonic Youth / サーストン・ムーア (ロッキングオン1998年6月号から引用)

早い話が、ニルヴァーナが100万枚売ったから急遽作られたジャンルに過ぎないんだ。パッケージングしやすいようにね。

いったん現象が起こると、彼らが先頭に立ったけど、あれはロックンロールの歴史の中で、業界のコントロールとメカニズムに反して、全く独自の経緯を辿った、数少ない現象の一つだった。

みんなはじめ、それをどう扱っていいか途方に暮れたんだ。それで取りあえず、オルタナティヴ・ロックと呼んだ。

でも、ニルヴァーナ以降のシーンの実態は、パンク・ロックをメインストリームにウケるように取っ付き易くしただけだっただろう?

ただ一つ利点があったとしたら、俺たちのようなバンドにも市場が開かれたってことだ。

95年のロラパルーザへの参加とか、こんなスタジオを作るだけの資金を稼ぐことができたこととか。

そういう意味ではオルタナ現象にはいい思いをさせてもらったよ。

でも、心の中でそのシーンに親近感を感じることはないんだ。

まあ、そんなにネガティヴになることもないかと思うんだけどね。

例えば、市場に広がって、いろんな音楽にインスパイアされたバンドが出てきたってこともあるし。

Smashing Pumpkins / ビリー・コーガン (ロッキングオン1998年5月号から引用)

僕にとってはメインストリームでないもの全てを説明する包括的な言葉だったよ。
だから・・・ライル・ラヴィットはオルタナティヴ・カントリーで、ソニック・ユースはオルタナティヴ・ノイズ・・・

そんなふうに、オルタナティヴっていうのは対抗勢力だったんだ。弱者あるいは対抗勢力のメンタリティってすごく明白なんだよ。

「They are here, we are here, we must kill them!」(ヤツらがいる、俺たちもここにいる、ヤツらを殺せ!)さ。「王を倒せ」だよ。

ところがある日突然、オルタナティヴがもはやオルタナティヴではなくなってしまった。

今じゃ、一定のタイプの音楽やライフスタイルを表す言葉でしかなくなってしまってるんだ。もう対抗勢力じゃないんだよ。

Jon Spencer Blues Explosion / ジョン・スペンサー ロッキングオン2000年9月号から引用

俺が影響を受けてきた音楽は、本当の意味での「オルタナティヴ」な音楽、つまりアンダーグラウンド、サブカルチャーの音楽だからね。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ストゥージズ、ニューヨーク・ドールズ、スーサイドこそが俺の愛する音楽で、連中のような音楽こそが、俺の信じる真のロックンロールなんだよ。

ロックンロールってのはどこか不思議で、異様で、メインストリームに敵対する音楽なんだから。

エルヴィス・プレスリーやリトル・リチャードだって相当異様でいってたけどな(笑)。

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