Foo Fighters 17曲(You Tube)
Foo Fighters (フー・ファイターズ)の概要
カート・コバーン自殺後、Nirvanaのドラマーだったデイヴ・グロールは数ヶ月間何もしないで過ごしたようだが、本格的に音楽業界復帰を決意するようになった。
きっかけは、7 Year Bitchからの手紙と、エディ・ヴェーダーとクリス・ノヴォゼリックと共に参加したマイク・ワットとのセッションだった。
特にワットとのセッションは大きな刺激を与えられたようだ。
当初はデイヴがギターヴォーカルという形で復帰するとは思ってもいない人が多く、驚いた人も多かった。
また、ソングライターとしてのデイヴの才能にもビックリしただろう。
Nirvana時代は、ソングライティングの主役はカートだったが、デイヴはコツコツと曲を作ってはレコーディングしていた。
中にはカートが大いに気に入ったアイデアもあり、Nirvanaの曲として発表しようという話もあったが、結局Marigoldだけしか実現しなかった(MarigoldはNirvanaのシングルのB面に収録されたのだが、製作やレコーディングはバンドとして本格的に取り組んだ訳ではなかったようで、デイヴ自身はNirvanaの曲と思うのは難しいと発言している)。
そのデモテープを元にFoo Fightersのデビューアルバムを製作。
全ての楽器をデイヴがプレイしており、バンドというよりソロアルバムといっていいだろう。
レコーディング終了後にバンドメンバーを捜し始め、後期Nirvanaのツアーギタリストだったパット・スメアも加入している。
元Nirvanaという色眼鏡で見られることへの嫌悪からだろうか?
当初はインタビューはおろかビデオすら製作せず、全くのノンプロモーションだった。
音楽性は王道ハードロックといった感じで、しかもポジティブで明るい。
メロディもわかりやすくてキャッチーだ。
80年代のメインストリームと何ら変わりのない音という評論家もいたが、爆発力は凄まじく、かなりの高揚感を得ることができる。
1stが高評価され、バンドとしての実質上のデビューアルバムとなる2ndをリリースするも、バンドのメンバーが安定しないという苦難が続いた。
飛行機嫌いのパット・スメアもツアーを苦にバンドを去っている。
当初のメンバーで残っているのはシアトル出身でSUB POPに所属していたSunny Day Real Estateのネイト・メンデル(B)のみ。
ドラマーはアラニス・モリセットのツアーに参加していたテイラー・ホーキンス、ギターは元No Use For A Nameのクリス・シフレット。
2002年の4th以降はこのメンバーで安定しており、デイヴも「これが最後のラインナップ」と宣言している。
バンドはフジロックでトリを努めるほどの人気を獲得し、2005年にはアコースティックなアルバムを発表したりと、成長しながらもトップバンドとして活躍中だ。
また、ドラムマシーンと評されたこともあるデイヴはドラマーとしても大活躍で、Queens Of A Stone AgeやNine Inch Nails、Gargabeなどのアルバムに参加している。