少年ナイフ (Shonen Knife)

少年ナイフ (Shonen Knife)の概要

少年ナイフのことをグランジにカテゴライズする人なんて誰もいないと思うが、重要なバンドなので紹介することにした。

少年ナイフ 12曲

少年ナイフがUSオルタナ界隈を中心に、世界的に評価が高いことは有名だ。

特にNirvanaのカート・コバーンは入れ込んでいたようで、お気に入りの50枚に少年ナイフの”Burning Farm”を挙げ、UKツアーには前座に起用、最初で最後の来日公演の際には少年ナイフのライヴを見に行っている。

また、89年にはSonic Youth、L7、Redd Krossなどが参加した少年ナイフのトリビュートアルバム”Every Band Has a Shonen Knife Who Loves Them”がリリースされている。

なぜUSインディ界にこのバンドが広まったのかというと、Hot Expressのインタビューで本人が語っているように、シアトルから少し離れたオリンピアのKというインディレーベルに気に入られたからだ。

K RecordsのオーナーはBeat Happeningのキャルヴィン・ジョンソン。

彼はシアトルから少し離れたオリンピアのインディパンク界の支配者だった人物で、オリンピアに住んでいたカート・コバーンも大きな影響を受け、Kというタトゥーを入れている。

Beat Happeningは「日本でバンドをやろう!」と84年に東京に短期滞在していたので、その時に少年ナイフを発掘したと思われる。

「東京にいるキャルヴィン・ジョンソン。ジャパニーズ・アンダーグラウンドを探し求めて。」と題した記事で少年ナイフを紹介していることからそれは明らかだ。

その後、日本でリリースされていた1stアルバムが85年にKからアメリカでリリースされ、86年に”SUB POP 100″というコンピレーションに参加したりと海外での活動が目立っていった。

91年にはNirvanaとUKツアー、92年にはレディング・フェスティヴァル、94年にはロラパルーザ、97年にはBig Day Outに参加したりと、日本のバンドとしては異常なまでの活動内容であり、こんな日本のバンドは少年ナイフだけであった。

バンドの歴史は他のサイトを参考にしてほしいが、山野直子と山野敦子姉妹、同級生だった中谷美智枝で結成されたのが81年。

Nirvanaなどよりも早くからバンド活動を開始していたのだ。

83年に日本のインディレーベルから1stアルバム”Burning Farm”をリリース。

日本のガールズバンドの先駆者といっていいだろう。海外で評価を高めた後、92年にメジャーデビュー。

音楽性は、下手クソな演奏と力のない歌、インディらしい素朴なサウンドがロウファイで良い味を出している。

歌詞は日本語と英語の曲があり、子供っぽいのが多いが、ときおり反逆的な面も垣間見せる。

メロディはキャッチーなインディ・ポップといったところ。

こんな曲は少年ナイフ以外に作れないだろう。

カートは「自分の好きな音楽を楽しそうに演奏しているところ」に魅力を感じたそうだ

関連リンク

少年ナイフ (Shonen Knife)のアルバム紹介

スタジオアルバム

ベストアルバム

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