マスコミやメディアに現実とはかけ離れた人物像を作り上げられ、ロックの救世主とか世代の代弁者というレッテルを貼られると、そのプレッシャーは凄まじい。
他人が期待するように生きようなんて思い始めると…間違いなくそこらじゅうでトラブルに巻き込まれることになるし、どう考えても生産的じゃないことをやる羽目になるんだ。
(Pearl Jam / ストーン・ゴッサード)
マスコミが作り上げた人物像と現実の自分とのギャップに俺はこんな人間じゃないと苛立ち、大衆からの過剰な期待に応えなければならないというプレッシャーを受ける。
タイムちょっと曲を書こうと思っても、(TIME誌などに世界で最も重要な人物として祭り上げられたことなどが)何かと頭に浮かんでくる。
(右の写真は97年にTIME誌がアメリカで最も重要な人物を特集したもの。NINのトレント・レズナーは写真左上の人物)
『この曲で重要と言えるんだろうか?俺はロックを救わなくちゃならないんだぜ。なのに、ああ、もう!』
そんなの創作意欲をそそらない。曲を作ろうとピアノの前に座っても、何度も打ちひしがれた。
(Nine Inch Nails / トレント・レズナー)
カート・コバーン死後、オルタナ代表という重圧はPearl JamとSmashing Punpkinsが背負うことになるが、詳しくはオルタナ代表バンドの動向とオルタナの敗北を見て欲しい。
「2ndのジンクス」という言葉を聴いたことがあるだろうか。
デビュー・アルバムは凄くよかったのに2ndアルバムはダメだったというのはよくある話。
デビュー・アルバムの出来が良過ぎて、バンドがその評価と2ndに対する過剰な期待に押し潰された結果、2ndの出来が悪くなってしまうのではないだろうか。
パール・ジャムの”Corduroy”という曲は1対100万人の人間関係を歌ったもので、あからさまな内容だからアルバムに歌詞は掲載しないことになった。
この曲では、エディ・ヴェダーはジェネレーションx世代の代弁者という地位を完全に拒否しているように思える。
おまえらの試験を受ける気はないからね
押されたって拒否するさ
こういう態度が奇異だとは思わないな・・・
おまえらの望むものにはなれない
(Pearl Jam / Corduroyの歌詞)
このようなミュージシャンの発言は、リスナーとしては耳が痛いところ。
しかしエディ・ヴェダーは、この曲を製作していた時期は「人々の期待に縛られて自由がなかった」と感じたと回想している。
大衆の望んでいることなど気にしないと発言したところで、爆発的な売上を記録すると、実際は大衆を意識しないことは不可能なのだ。