Nirvanaの成功により、インディバンドが世間の注目を集めるようになり、インダストリアル、ローファイ、ミクスチャーなど様々な音楽がメインストリーム規模で人気を獲得していった。
単純なスリーコードを主体にするという「音楽ジャンルとしてのパンク」、もっとわかりやすくいうと「日本でいうところのメロコア」が台頭してきたのもグランジオルタナムーヴメントによるということだ。
Bad Religionの日本盤ライナーでは頻繁に語られているのだが、意外と知られていないようなので詳しく書いておく。
先駆けとなったBad ReligionとEpitaphレーベル
多くのオルタナバンド同様、Bad Religionは元々80年代のインディで活動してきたバンドだ。
80年にLAで結成され、メンバーのブレット・カーウィッツは後に重要となるEpitaph(エピタフ)レーベルを設立している。
Epitaphがレーベルとして本格的に始動したのは87年頃で、その頃にリリースされたBad Religionの”Suffer”というアルバムは、ハードコアなビートにメロディアスな歌を乗せるという「メロコア」を確立した重要なアルバムとされる。
80年代後半になると、パンクはただ単純に誰も興味がなくてお呼びじゃないからってことになっちゃっていて。
LAのサンセット・ストリップのメタル・バンド風じゃなきゃ誰も見に来ないっていう状況になっちゃったんだよ。
Offspring / デクスター・ホーランド rockin’ on 2007年10月号から引用
このように、この頃はハードコアが終焉をむかえ、パンクは衰退期だったようだが、Sufferを皮切りにBad Religionとエピタフは停滞していたパンクシーンを引っ張っていった。
NOFX、Penneywise、Offspring、Rancidの作品がエピタフからリリースされた。
Bad Religionは当時インディで活動していたGreen Dayと共にツアーしたこともある。
ニルヴァーナの登場まで、バッド・レリジョンとフガジが互角に闘ってた。
どこまで有名になれるかって。
フガジのイアンがワシントン、俺とブレットはサンタモニカ。
お互いにレコードを12万枚も売ったんだ。
当時のパンクとしては凄い数字だ。
Bad Religion / ジョイ・ベントリー PUNK’S NOT DEADから引用
グランジオルタナ革命が勃発し、多種多様な音楽が受け入れられやすくなり、インディに注目が集まると、Bad Religionにもメジャーレーベルの声が掛かるようになった。
しかし、当時はパンクがメジャーと契約するのは考えられない時代だった。
先にメジャーデビューしていたグランジオルタナバンド同様、セルアウト呼ばわりされるなど非難の声もあった。
カートが自殺した94年、Bad Religionはメジャーから8thアルバムをリリースする。
しかし、エピタフ創設者のブレットはアルバムリリース直後にバンドを脱退。
メジャーレーベルのレコード流通力を肯定し、メジャーとインディの境界が曖昧になっていると話していたものの、メジャー契約に抵抗があったとの推測もあった。
転機となった94年
94年にはBad Religionのメジャーデビュー以上に後のポップパンクブームを決定付ける出来事が起こっている。
Offspringがエピタフからリリースした”Smash”は1000万枚を売り上げる大ヒットを記録した。
宣伝活動に大金を注ぎ込むことができないインディレーベルからリリースされたアルバムが大ヒットするなど超異例の出来事で、インディレーベルのあり方まで変えてしまったといわれる。
Semlls Like Teen Spiritsのビデオでみんながモッシュしているのを見たとき、(頻繁にライヴを行っていた)ギルマン・ストリートの光景そのままだって思った。
こういうものがバカ受けしているなら俺たちとか他のバンドがやってる音楽がウケない理由もまたないって思ったんだよ。
Offspring / デクスター・ホーランド rockin’ on 2007年10月号から引用
一方では94年にメジャーデビューを飾ったGreen Dayは”Dookie”が大ヒット。セールスは1000万枚を超えグラミー賞も受賞している。
陰鬱なサウンドを鳴らしていたNirvanaと入れ替わるように、ポップで明るいサウンドを鳴らした彼らはNirvana以降の新しい波だとか、グランジやオルタナティヴに続く次のトレンドを求めていた雰囲気があったとか分析された。
95年には、この手のバンドを集めたツアー形式のフェスティバル”Warped Tour”が始まり、ポップパンクが隆盛を極める土壌となっていった。
日本でもHi-Standardというバンドが流行したが、このシーンとは無関係ではない。彼らはNOFXのメンバーが設立したレーベルに所属していた。
90年代パンクのへ批判とその後
しかし、OffspringやGreen Dayのような90年代パンクには批判が付きまとうことになった。
明るくてキャッチー、ポジティブで楽しい雰囲気満載の90年代パンクは、「衝動、怒り、焦燥」などを感じられる音楽ではなかったのだ。
Sex PistolsやClashから怒りや衝動性を取り払ったような保守的な音楽性や、商業的な成功やメインストリームでの活動を嫌うインディ的価値観から、こんなのパンクじゃない!とか、単なる商業パンクなどと非難された。
パンクって、最近は全然変わっちゃったよなぁ。
オフスプリングやグリーン・デイとかバッド・レリジョン辺りが山ほどレコードを売るようになる前は、『俺たちはパンクだ』って気軽に言えたけどさぁ…
若い奴らのやってるのはあくまでもハッピー・パンクなワケ。
怒りとか暴力性とか、全然なし。
ひたすらハッピーで、追い詰められた感じがない。
ブラック・フラッグが小さなバンに乗って、国中這いずり回るように6年間もツアーしてたのとは大違いだ。
グリーン・デイなんか『ウッドストック』だぜ。ダサイっての!(他のメンバー大爆笑)
昔のパンクは、死ぬほど怖いものだった。
パンク・ロッカーが道を歩いてきたら、不良も、まともな人間も、頭に硬い連中も、みんな叫びながら逃げ出すっていうくらい怖いもんだったんだ。
時代は変わったんだよ。俺は何もオフスプリングやグリーン・デイをこき下ろそうっていうんじゃない。
ただ、あれは俺が考えているパンクじゃないってこと。
俺のパンクは、極端なまでの憎悪と拒絶でもってオーディエンスをビビらせるようなものだからさ。
Mudhoney / スティーヴ・ターナー ミュージック・ライフ1995年5月号から引用
ニルヴァーナ以降のシーンの実態は、パンク・ロックをメインストリームにウケるように取っ付き易くしただけだっただろう?
Sonic Youth / サーストン・ムーア rockin’on 1998年6月号から引用
彼らは私たちがやってきたこととは関係ないところにいると思う。
ニルヴァーナ後のオフスプリング~グリーン・デイっていうのは、まさに便乗バンドじゃない?
グリーン・デイのセカンドは、日本じゃどうか知らないけどアメリカではポシャってるわよ。
Sonic Youth / キム・ゴードン rockin’on 1996年4月号から引用
その後、Blink 182、Good Charlotte、Sum 41が大ヒットし、さらにはMy Chemical Romanceなどのエモまで広がってゆき、ポップパンクとかパーティーパンクという言葉が頻繁に使用され、パンクは完全にメインストリームの一部となってしまった。
ここまで来ると、楽しければOK!というノリしか見出すことができない。
LAメタルと同様に、感情表現とは無縁な保守化した商業パンクとしか思えないし、パンクは単なる音楽ジャンルやファッションを示す言葉となってしまった。
しかし、昔のパンク像を打ち破ったネオ・パンクだと評価する声もある。
一方では、メインストリームに進出せずにアンダーグランドに身を置き、コアなファンの支持を集めながら活動を続けているパンクバンドも存在する。
本物のパンクがテレビに映ることはありえないんだ。
というのも、本物のパンクはアンダーグラウンドで起こっていることだから。それは変わらないんだ。
イアン・マッケイ rockin’ on 2007年10月号から引用
商業的に成功した90年代から2000年代のパンクについてはPUNK’S NOT DEADというドキュメンタリーを見てほしいが、「パンクとは何か?」というのは永遠の課題なのかもしれない。
僕は「パンク」という音楽ジャンルには興味が無い。
自信たっぷりに自分なりの生き方を試みる、というのが僕にとってのパンク。
だから、パンクが特定の音楽を示すものになってしまったとき、そういう音楽をやっている人たちに対する興味が失せたことは認めざるをえない。
スティーヴ・アルビニ CROSSBEAT 2008年11月号から引用