オルタナ代表バンドの動向とオルタナの敗北

オルタナティヴとは、取って代わるもの・反主流的なもの・既存のものを打ち破る反商業的なものだ。
音楽的停滞や退行は許されず、同じ音楽を繰り返すことを良しとしない。
自分が生み出した音楽すらも捨てて前進せねばならない。
大ヒットした前作と同じような大衆ウケを狙ったアルバムを作るのはオルタナティヴとは言えない。

カート自殺後、オルタナの代表としてこのようなオルタナ的思想の期待と重圧を背負ったのがPearl JamとSmashing pumpkinsだ。

重圧から逃れたPearl Jam

ノー・コード(2006年に)これまでを振り返ってみると、ソングライターとして一番ハードだったのは3、4枚目の頃でね。他人の期待にがんじがらめに拘束されて自由を奪われてしまったかのように感じたんだ。
(Pearl Jam / エディ・ヴェダー クロスビート2006年6月号から引用)

Pearl Jamの1994年作Vitalogyと1996年作No Codeは、急激な成功とそれにともなう大衆からの期待という重圧の中で製作された。
意図的に売れないアルバムを製作しオルタナティブであり続けるという期待に応えた感があるが、Pearl Jamらしくないとの批判もあり人気に陰りが見え始めた。
結局のところ、大衆はオルタナティヴであり続けるよりも、従来の”グランジ”を期待していたのだろうか。

僕はNo Codeの時期が一番大変だったと思う。
・・・

Vitalogyあたりから(急激な成功によるプレッシャーの)反動が形になってしまって、Better ManとかCorduloyとか凄くいい曲だけど、あのアルバムの悪いところはああいう状況のリアクションとして生まれた曲が多すぎたこと。
個人的には、早送りする曲が一杯あるし。
当時は正しいと思ってやってたけど。

(No Codeの頃は)みんな内にこもって、身勝手になってしまったんだ。
スタジオでのコミュニケーションが全く取れなかったアルバムだ。
(Pearl Jam / ジェフ・アメン ロッキングオン2003年5月号から引用)

商業的成功やオルタナ代表という重圧から逃れる術を学んだ中で、1998年にリリースしたYieldは理解しやすい王道サウンドを復活させPearl Jamらしい作風となった。
しかし残念ながら、人気や世間に対する影響力という点では過去の勢いを取り戻すことはできなかった。

周りがオルタナのリーダー扱しようが関係ない、好きにやるだけだ!と開き直った感がある。
ただ誤解して欲しくないのは、周囲の過剰な期待に応えるのを放棄したことは悪いこととは言えない。


重圧と責任を最後まで背負ったSmashing Pumpkins

それに対してSmashing Pumpkinsはオルタナ代表としての重圧を一手に引き受けていった。
1993年のSiamese Dreamが大ヒットしたことで、オルタナとしての自覚と責任が芽生えたらしい。
しかし解散前に、オルタナの代表バンドという重圧はあったがカートの死によってそれが増したと感じたことはないと発言している。
ともあれ、1995年リリースの3rdアルバム”メロンコリーそして終わりのない悲しみ”では、従来のSmashing Pumpkinsサウンドの限界を超えることに成功しオルタナのリーダーとしての責任を全うすることににもなった。

しかし1998年、ヘヴィ・ロック旋風が吹き荒れ始めた中、過去の作品に見られたヘヴィネスから撤退し、音楽的前進のためエレキギターの音を控えニューウェイヴ色を強く出したとされるAdoreをリリースしたが、アメリカのメディアから酷評され商業的に失敗してしまう。

売れなければリーダーとして意味がないことを自覚していたのだろうか?
その後は売れなくても好き放題続けるという選択肢をとらず、「(アイドルなどの)ゴミみたいな音楽との戦いに疲れた。」といって解散してしまう。

いや、ブリトニーってことだけではなくて、この世界すべての戦いに疲れたんだ。
ブリトニーと言うのはたとえで使っただけで、もちろん彼女への怒りではないんだ。
むしろそれにまつわる環境のことかもしれない、エンターテイメント産業におけるすべての。
つまり、そういったアクセサリーでしかないような音楽が受け入れられると、この業界すべての力がそれに注がれるようになる。
そして、オーディエンスもそれを受け入れている以上、その関係性にネガティヴな要素なんてまったくないんだ。
そして、もしそうなってしまったら、僕らはそれに対してどうすることもできない。いい戦いができないというのはそういうことだ。

・・・

スマッシング・パンプキンズというバンドは常にロックンロールというものに対するエッジを超えてきたバンドだと思うし、実際そう受け止められてきた。
そして、そうあることが要求され続けてきたんだ。
それに答え続けるのに疲れてしまったんだ。
しかも世界は僕らにそこまでの重圧を背負わせておきながら、バンドを正当に評価すらしてくれない。
例えば、アメリカで今重要なバンド・ベスト10なんてやると僕らの名前なんてかすりもしないんだ。

でも僕は間違いなくスマッシング・パンプキンズを僕らの世代で最も重要なバンドのひとつだと思っている。
僕らはオルタナティヴ・ミュージックの可能性を実現させたんだ。
その義務をしっかりと果たしたんだよ。
オルタナティヴ・ミュージックにただ漫然と感じ入ってたわけじゃないんだ・・・
なのに、時々僕は何もない部屋でひとり大声で叫んでいるんじゃないかなんて気分になるんだ。
それってひどく滅入ることなんだ。
そして、そんなことにもう耐えられなくなったんだ。だから、さっきも言ったようにこの解散には何万の理由があるかもしれない、
だけど、もうたくさんだっていう気持ちになったんだ。もうこれ以上耐えられない。
ここまでだ、その時がきたんだってね。(Smashing Pumpkins / ビリー・コーガン BUZZ 2000年7月号)

この発言から感じられるのは、オルタナ代表という期待に対して必死に応えようとしながらも、音楽産業の中で迷走して行かざるを得なかったバンドの悲劇だ。
ビリー・コーガンの自意識過剰を指摘する声もあったのだが・・・

オルタナ思想を体現しようと試みたAdoreが売れず、似たり寄ったりで個性のないニューメタル・バンドが売れ始める。
オルタナであり続けることを期待する大衆の重圧と音楽ビジネスの罠に捕われた中で製作されたAdoreが売れなかったことは、オルタナの敗北を意味していたと言い切っても良いのではないか?

スマッシング・パンプキンズの解散がオルタナの終焉とは思わない。
だけど、もう他に誰も残っていない、戦っている人がいないという部分には同意するよ。
(Smashing Pumpkins / ビリー・コーガン BUZZ 2000年7月号)

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