しかし、オルタナティヴ(反主流)と呼ばれる音楽がメインストリーム(主流)になるにつれ、ロラパルーザは苦戦を強いられることになる。
ペリー・ファレルは「ロラパルーザのヘッドライナーを決めるのはとても難しい。」と話したが、言いたいことは理解できるであろう。
オルタナが流行するにつれ、ロラパルーザでなくてもオルタナ・バンドのライヴは見れるようになって行ったし、有名なオルタナ・バンドを出演者に加えると商業主義だの守りに入っただのと非難されたりと、運営が難しくなっていく。
かといってマニアックな路線を推し進めると商業的に興行として成り立たないのは明らか。
95年のSonic Youthをヘッドライナーにしたロラパルーザはセールス的に苦戦してしまった。
Sonic Youth / サーストン・ムーアとBeckの対談(CROSSBEAT1996年7月号から引用)
主催者側も「ニルヴァーナ・タイプの音楽をやっている連中だけじゃなく、もっと変わったことをしているバンドを集めよう。」と言ってた。
で、集まったのが俺たち(Sonic Youth)、ベック、ペイヴメント、ジーザス・リザード、サイプレス・ヒル、シンニード・オコナーだろ?
残念ながら過去5回のロラパルーザの中じゃ興行成績は最低のものになっちゃったんだ。今やメインストリームと化した”オルタナティヴ”に対する、本当の意味でのオルタナティヴとでも言ったらいいのかな、これこそ本当の意味でのアメリカ・オルタナ界の真の姿だ!って感じの面白い顔ぶれが揃ったにもかかわらずね。
コンセプトは良かったものの、俺たちはブッシュ(フォロワー、商業的なグランジと言われたバンド)とかを聞きたがっているオーディエンスの前に立たされる羽目になったのさ。
中部を回ってるときなんて、ラジオで「今日は1日中ロラパルーザがやってるぞ。みんなで見に行こう。」って宣伝しときながら、参加バンドの曲は一曲も流さずストーン・テンプル・パイロッツやブッシュばかりだもんな、矛盾してるよ。
オーディエンスはグランジを待っていたんだよ。
まああの時もニルヴァーナの代わりといった役割でホールは出ていたけどね。(Sonic Youth / サーストン・ムーア)ホールがステージに上がったときの盛り上がりは凄かったよねえ(ベック)
ホールは正統派グランジバンドだからさ。
グランジ界の大物を待ってたって調子で、正にグランジ・ファンが求めていたものだったんだよ。
恐ろしいよな、全く。 (Sonic Youth / サーストン・ムーア)ロラパルーザは矛盾していたよね。
ジャンルに拘らずあらゆる音楽を肯定するって姿勢があってこそ成り立っていたはずなのに。
それが真実じゃなかったんだ。 (ベック)
Smashing Pumpkins / ビリー・コーガン(2000年)
ロラパルーザに参加することで、バンド、あるいはオルタナティヴの頂点を味わうことになると考えたんだ。
で、結局わかったのは、こういうこと。3,000人を前にすれば、オルタナティヴに入れ込んでいる3,000人のために演奏することになる。
ところが30,000人を前にすると、オルタナティヴが好きな3,000人と、オルタナティヴをテレビ番組でも見るように眺める27,000人のために演奏することになるんだ。つまり大部分は、ただの流行に乗ってきている人たち。
それに気づいたときは、かなり愕然としたよ。
結局のところ、ロラパルーザの観客の多くはオルタナティヴに感化された人々ではなく、流行に乗っている人たちが大多数だったようだ。
96年に、オルタナを意識したアルバム”Load”をリリースしたMetallicaをヘッドライナーにしたのは好調だったようだが、オルタナにすり寄ってきたメタル界のスーパースターをヘッドライナーにしたとの批判もあった。
この年を最後にペリーは主催者を降りてしまった。
今となってはロラパルーザというのは、まるでチームスター(全国規模の労働組合組織)のようなものになってしまっている。
チームスターというのは、労働者の利益をあちこちで着服した腐敗した組織で、労働者はチームスターを信じ、チームスターは労働者をいいように身ぐるみ剥いだだけだったんだよ。で、僕はもうそういう現実と関わりあうつもりはないんだ。
(ペリー・ファレル ロッキングオン1996年7月号から引用)
開始当初は移動形式フェスティバルはロラパルーザしかなかったが、オルタナを否定するKornが打ち立てたファミリー・ヴァリューズというフェスティバルの出現し、オルタナそのものの衰退もあり、ロラパルーザは失速していった。
結局、ロラパルーザは98年を最後に開催されなくなった。
しかし、2003年に再結成を果たしたJane’s Addictionをトリに復活を果たす。
ニュー・メタル勢が失速したこともあり、再び定番化すると思われたが、2004年はチケットの売り上げが不振で中止となってしまう。
2005年には規模を縮小し、1日限りで開催された。
その後はかつてのように全米を回るツアー形式ではなく、シカゴのみで数日間だけ開催されており、2010年代では南米でも開催されている。
オルタナ・ファンとしてみれば象徴であるロラパルーザの衰退は悲しい気がするが、インターネットが普及しオルタナ・インディ・シーンが脚光を浴びやすくなった現在、ロラパルーザは以前のような役目を終えたと言っていいだろう。