2009年に日本国内盤の存在意義を考える(その3:対訳、歌詞の和訳)

コンニチハ、Toolのメイナード・ジェームス・キーナンです。
「アルバムのブックレットに歌詞を掲載しないスタンスを取っております。
まずは音楽で何かを感じて欲しいです。
一番最初にリリースされた日本盤には例外的に対訳を許可しましたが、気が変わりました。
再発盤には対訳は付いていません。」

PJ Harveyの新作の日本盤は「一部歌詞対訳付き」という微妙なものでした。
まあ、ポーリーもTool同様に歌詞は非公開というスタンスですからしょうがないといったらそれまでなんですが。

日本盤の存在意義の続きで今日は歌詞の対訳です。


個人的にはボーナストラックよりも対訳の方に日本盤の存在意義を感じます。
まあ「歌詞の内容に興味のない日本人」が多いと聞いたことがありますが実際はどうでしょうかねえ?

対訳で批判されるのは和訳の質についてです。
間違っているとかテキトーな訳だとかw

個人的には英語が得意じゃないんで、俺が訳したのよりも信憑性はあるだろうと思っているので、あまり非難する気はありません。

正確性を追求するとキリがない部分もあると思います。
“By The Way” Special “タツノオトシゴ―Dosedの歌詞に秘められた想い―”:
これはレッチリ関連ですが、さすがに日本盤付属の対訳にここまで要求するのは酷かなあとw

でもある程度の質は要求したいですよね。
確かに国○ジ○ジャー氏の訳はおかしいw
最近はあまり見かけない気がしますが。

まあ個人的には付属対訳は「ないよりも遥かにマシ」って感じで付いてくればあまり文句を言いません。

問題は諸事情により日本盤に歌詞の対訳が付いてこないケースです。
こういう場合は日本盤の存在意義が問われるわけです。

去年、Okkervil Riverという「文学ロック」を売り文句にされているバンドの日本盤を購入したのですが、対訳が付いていませんでした。
「文学ロック」をアピールしているのに対訳が付いていないというのは大いなる矛盾。

以下、俺が勝手に考えた対訳が付いてこない理由
本来は音楽業界に精通しているジャーナリストやレコード会社の方に語ってもらいたいんですけどねw

バンドの歌詞非公開というスタンス
これは冒頭のPJ HarveyやToolのようなケースです。
対訳が付いていないケースの多くはこれが原因でしょうか。

歌詞が非公開でも聞き取った歌詞を訳したものが付くことがあります。
PJ HarveyのDryがそうでした。

ですが、バンド側がそれすら認めないケースもあります。
こういう場合はレーベルに責任を押し付けるのは酷ですが、対訳が付かないなら日本盤をリリースする必要があるのか?と疑問が・・・
まあ日本盤の存在意義は対訳だけじゃないのですが。

バンド側からの歌詞の公表が遅れ、対訳が発売日に間に合いそうにないので諦めた
Nine Inch NailsのThe Fragileがこれに該当すると聞いたことがあります(真相は不明)。
まあ発売日を遅らせてでも対訳を付けろと言いたくなりますけどね・・・

日本盤をリリースするレーベルにカネも時間もない
手間がかかるから対訳を付けないことにした
これらのケースは完全に俺の予想ですが、こういうケースは本当に存在するのでしょうか?
だとしたら最悪ですね。

和訳者に払うギャラはどのぐらいなんですかねえ?
一桁万円代だとは思うんですけど。

バンドの音楽性が歌のないインスト
これはさすがに無理でしょうw

対訳が付かない理由は色々あるでしょうが、先程書いたとおり、いかなる理由でも対訳を付けられないなら日本国内盤をリリースする意義があるのか?と問いたいです。

日本盤の存在意義は対訳だけじゃありませんが、「ボーナストラック無し、対訳も無し、ライナーノーツだけ」っていうのが最悪のパターンだと俺は思います。

というわけで次回は最も賛否両論あると思われるライナーノーツ。

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