悲惨な境遇にいた方が良い音楽を創れるのか?

コンニチハ、Pearl Jamのエディ・ヴェダーです。

世の中の下の方で暮らしていくためには、想像力に富んでいなきゃならないんだ。
俺はものすごく想像力に富んだ人間にはいつも興味があるんだ。
最も優れた語り手ってのはいつもタクシードライバーやホームレスだもんな。

社会の上の方にいる連中に話を移すと・・・
例えば、バックステージまで連れて来てもらえるほどのコネを持った連中、成功して上手くやってる奴等、金がたんまりあって健全な人間ってのを知ってるんで、想像力がそんなになくてもいいような奴等の場合、俺とこういう類の人間とはあまり共通点がないんだ。

あいつらと会話したところで、世間話とか全く取るに足らない話を山ほどするだけだからな。(クロスビート1994年2月号)

たまに見かける意見として、悲惨な状況にある、精神的に荒れている、怒りを抱えているなど、不幸な人ほど想像力と創造力が豊かで、良い曲が書けるというのがあります。

これは本当なんでしょうか?
創造性のダークサイド:心理学研究
こういう記事もありますけどどうなんですかねえ?


私自身は、ある意味当たっていると思います。
精神的に荒れていたり、憂鬱な気分のときは、あれこれ色々と考えてしまうことが多いですし、自分自身の体験からはその通りかもしれないと思います。

まあミュージシャンのキャリアをたどるとそう感じることもあります。

最近そのように痛感したのがCoccoですかねえ。
活動休止以前と活動再開後を比較するとね。

ザンサイアンはそれなりに良いんですが、「きらきら」は何だかなあと…。
沖縄文化というテーマのエメラルドはまあ良いんですが、それでも初期の殺伐とした世界には敵わないと言いますか。

NINにしても、最高傑作とされているのはトレントの精神状態がどん底だった頃のアルバムです。
Kornもそれは同様です。

ヘヴィ系じゃなくても、Bright Eyesもある時期を境に憑き物が落ちたようにテンションが下がってしまいました。
まあコナー・オバースト自身は「世界が酷い状況にあるときに優れたロックが生まれてくる。」とか言っていた気がします。
社会情勢も影響するのでしょう。

Pearl Jamもブッシュ政権後のBackspacerでは普通のロックになってしまいました。
Arcade Fireもブッシュ政権前の方が好きです。

まあそういうわけで、不幸な人ほど面白いロックを生み出せるのかなあと思ってしまいます。
若い頃は精神的に不安定なことが多いですし、初期衝動っていうのもありますから、傑作には初期のアルバムが多いのもそのためかもしれません。

ただ、「良い音楽を制作するために悲惨な状況に身を置け」というのはおかしなことで。
不幸の全盛期が過ぎ去ったら、Coccoのように新たな道を見つけてそれを追求していくべきなのかもしれません。

なんだか、私は他人の不幸を楽しんでいる最悪の野郎なんじゃないかと思えてきました。
まあ人間なんて「他人の不幸が大好きさ」ですけどねw

今日はこれで終わりです。

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